私の記憶では、最初に年齢を強く意識したのは中学生の頃です。
運動部に入部すると、年上の人を「◯◯先輩」と呼ぶことが当たり前の空気がありました。もちろん、敬語とセットです。
逆に、小学生の頃には、大人でない限り敬語をつかう習慣はなかったように思います。
4年生の時に5年生にタメ口を聞くことなんて、至って普通のことでした。
言葉が態度に影響を強く及ぼすことは実感としてあります。
中学から使い始めた、年上に対する敬語は、年上に意見をする気持ちを削ぐ効果がありました。
単に年が上なだけでなく、そう簡単には逆らえない存在である年上、ということですね。
リンク先の説明だけをみても、なぜ年上を敬うべきなのかの根拠は書いてありません。
本当は根拠があるのかもしれませんが、世間でもその根拠をはっきりと言える人には出会ったことがありませんので、根拠の部分はたとえあったとしても継承されてはいないのでしょう。
長く生きた分だけ、経験知がある、というのがもっともらしい根拠ですが、幼少期ならいざしらす、40歳くらいになっての1歳差で生まれる経験知の差なんて誤差でしょう。
それに、倍くらい長く生きている人でくだらない犯罪を犯す人もいます。
ロジックが逆転していると思うんです。
年上だから敬うのではなく、尊敬できる人に年上が多い、といったところでしょうか。
「多い」だけなので、例外を多く含みます。
結局、年ではなくその人の本質に触れようとすることが大切で、長幼の序を実践しすぎると思考停止に陥る可能性がある、ということです。
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一方、今回のお題は「『選択』と『年齢』」ですが、選択に関しては年齢が関係してくると思います。
堅い話ですが、ヒトの脳を脳波のパターンで分析すると、年齢によって優位周波数が違うそうです。
考え方が柔軟だったり、逆に凝り固まっていたりするのは、この脳波の安定度から分析できるそうで、20歳前後だとまだまだ不安定なのです。
不安定ということは、いろいろなものに影響を受けやすいということになり、その時期に多種多様な経験をし、知識を得れば得るほどその後の人生に大きく影響するということです。
若い時にできるだけ何にでも挑戦したほうが良いのは、年をとって生活が安定するのと同時に体力が落ちていくから、という意味もあるのでしょうが、脳科学的見地からしても、受ける刺激が段違いだから、とも言えます。
脳波が不安定な時期に、一つのことにもろに影響をうけそれにハマりすぎ、たまたまそれが反社会勢力だった良い例がオウム事件でしょう。
オウム幹部の入信、出家した年齢を見るとうなずけます。
自分自身の経験では、今に続く音楽活動の原点となった音楽に出会ったのは20歳くらいだったと思います。
もしかして、同じ音楽でも今この年齢で出会っていたら、ここまでは刺激を受けなかったのかもしれません。
思い当たる節がありませんか?
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人生において、年齢と、それに紐づく選択をせまられることは少なくありません。
しかし、本当にそこを紐付かせるべきなのかどうか、ということが重要だと思います。
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