親父ギャグを言うくらいの年齢になった私ですが、親父ギャグは口にしていないはずです。
でも、このくらいの年齢になると、親父ギャグを言うメカニズム(?)はなんとなくわかってきたので、書いてみます。
親父ギャグに苦笑いしている、いや迷惑している人が、少しでもそれを許せるようになってくれたらこれ幸いです。
親父ギャグという言葉を改めて調べてみました。
親父ギャグ
親父ギャグとは、主に中高年層の男性が頻繁に使う、駄洒落や地口の要素をふんだんに含んだ安直なギャグのことである。
(wikipediaより)
説明文に「安直な」と書いてあるところが痛々しいですが、確かにという気がしないでもないですね。
この説明に補足をするならば、基本的に「面白くない」ということでしょうか。
(面白くても親父ギャグというのかな、、、)
親父ギャグを言う本人は、なぜ親父ギャグを言うのでしょうか。
理由は二つ考えられます。
一つは、面白くないことに気づいていない。
これは世代に関係ないと思います。いますよね、面白くないことをわざわざ言う人。笑いのセンスがないことに自分で気づいていない人。ちょっと痛い感じです。
しかしこれはどうしようもありません。笑いのセンスも、他の様々なセンスと同じように人によって能力差があります。
大切なのは、その能力を自分で意識しているかどうか、客観的に見ることができているかどうか、です。
もう一つは、面白いかどうかをそもそも気にかけていない、ということです。
親父ギャグを口にしてしまう理由の統計データなんてあるはずもありませんが、私の肌感覚ではこちらの理由の方が多い。
これは、良く言えば人の目を気にしなくなったとも言えます。
が、悪く言えば鈍感になった、繊細さが失われた、ということにもなります。
会話中、ある文脈で親父ギャグが思い浮かんだとします。
若くてまだ心が繊細ならば、そのギャグがウケる可能性が半分以下ならば、思い浮かんだだけに留めておくでしょう。繊細ですからね。
しかし、年をとり鈍感になった人がどう考えるかというと、ウケる「かも」しれないので、とりあえず言っておく、となるのです。
親父ギャグを言って、
・ウケたら嬉しい
・ウケなくても傷つかない
ならば、言うという選択をするというわけです。
親父ギャグを頻繁に言ってしまう自分に気づいた人は、親父ギャグに限らず、繊細さを失いつつあることを自覚した方が良いのかもしれません。
ただ、人の目を気にしなくなることは悪いことばかりでなく、日々の充足感があがるという面もあります。
要は使い分けですね。
ちなみに、リアルのコミュニケーションではなくネットでの親父ギャグは、全く問題ないと思います。
親父ギャグが痛いのは、その場の空気が気まずくするからですが、ネットには空気がありません。よって、堂々とスルーできます。
親父ギャグを言いたくてたまらない人(そんな人がいるのかどうかは知りませんが)は、ネットの書き込みくらいにしておきましょう。
また、親父ギャグを言われる方においては、こういった訳での親父ギャグ発言ということで、少しは許してあげましょう。