妻:今日の夕飯何が食べたい
夫:なんでもいいよ
妻:・・・(イラッ!)
こういった会話って、夫婦間では散々交わされていると思います。
これについて、いろんな意見があるようですね。
私は男で、同じような発言をすることは多々あります。
私の場合という前提ですが、「なんでもいい」という言葉の通り、本当に「なんでも」「いい(良い)」という意味で使います。
実際、私は妻が作ってくれたものに対して、味が濃すぎるとか、量が少ないということはやんわり伝えることはあっても(それは言ってほしいと言われてますしね)、メニューに関しては文句を言ったことは一度もありません。
それは、そもそも私は全てのメニューが「好き」か「大好き」に含まれる、ということもありますが、、、
一方、日本語はニュアンスが曖昧なこともあって、なんでもいい=どうでもいいという風に捉えられることもありますね。
これだと、妻側が不快になるのは当然です。毎日毎日夕飯を作る労力はかなりのものです。それに対して、どうでもいいという態度を取られるのは、作ってもらっているという感謝の気持ちが希薄過ぎます。
さて、妻側の視点に立った時は想像でしかありませんが、そもそもなぜ夫にメニューの聞くのか、ということを考えなければいけません。
作れる料理と、現時点で冷蔵庫の中身を掛け合わせて、メニューが1つに絞られるのならば、そういった質問をする必要がない、つまり選択肢がないわけですね。
つまり、質問をする時点で、複数の選択肢が考えられるわけです。
そして、毎日毎日メニューを考えるのは、確かに大変です。
上記したように、作れる料理と冷蔵庫の中身をかけ合わせて、そこに生まれる選択肢は1つではないものの、何でも作れるわけではない、という中途半端な状況で、なにかしらメニュー決定のきっかけがほしい。その時に夫に希望を聞く、ということになります。
夫の方は、普段料理をしない場合、妻がどんな料理を作れるのか、冷蔵庫の中身は見てわかっても、それからどんな料理ができるのか、それにはどのくらいの手間がかかるのか、というのはなかなか想像つきません。
コンビニや弁当屋に行けば、あつーい夏でも揚げ物が当然の様に販売されていますが、妻の質問に「とんかつが良い」なんて言った場合
「こんなに暑いなのに、なんでそれに追い打ちをかけるような料理を答えるのよ!作る方の身にもなって!」
なんていうことになってしまいます。
もしこれを本当に言われたら、夫は「何が食べたい、って聞かれたから答えただけなのに・・・」と思うわけですね。
結局、歩み寄りしか方法はありません。
なんでもいい、の言い方一つとったって、どうでもよい的な雰囲気がでていないか注意する必要があります。
また、妻側も夫側の料理に対する無知を受け止めて、いくつかの選択肢を出す、といった方法ですかね。
妻側が、夫側に夕飯のメニューをまったく尋ねなくなるのもちょっとさみしい。
また、夫側が料理の勉強をし始めるのも、すぐにはなかなか難しいと思います。
まず歩み寄れるところから、ですかね。