商業音楽の世界において、ビートルズはかけがえのない存在であり、それは主観的な好き嫌いを遥かに超越したものです。
それだけのバンド故に、ビートルズのファンはここ日本でも多く、またコピーバンドも全国に山のようにあります。
ビートルズが活躍したのは、1960年代から1970年代初頭なので、当時10歳だった人でも、60歳くらいですね。年月の流れを感じます。
だから、コピーバンドも、それなりの年齢の方々が多い。サラリーマンとして働きながら、週末に同じビートルズファンと組んだコピーバンドでLive活動をする。
良い時間の使い方ですね。
こういうスタイルでLive活動をする際には、演奏の上手さよりも、いかにビートルズが好きかを表わす方が優先されます。
なんといっても曲はビートルズのもので間違いないのだから、本人たちに似ているかどうか、それは声や演奏はもとより、立ち姿、使用楽器からMCまでに及び、その似方でビートルズファンを沸かせられます。
リスペクトのないコピーは逆にファンの反感を買うでしょうが、ビートルズへの愛を感じれば、盛り上がること間違いなしです。
音楽の世界に身を置くものとして言えば、本家ビートルズの演奏は、技術という面ではそこまで高くありません。
ボーカル、ギター、ベース、ドラムとも、もっと上手な人は当時でもたくさんいたでしょう。
そういう意味では、音楽が人に受け入れられるには、高い技術が絶対必要不可欠というわけではない、ということを示してくれているバンドです。
技術の代わりにあるものは、ユニークな味というか、バンド的なアイデンティティというか、そういった何かです。非常に表しにくい。
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そして、ライブハウス周りでも縦社会は健在です。
すると何が起こるでしょう?
対バンで技術が高い、若いバンドが出たら、ビートルズコピーバンドメンバーに「あいつらの演奏には味がない」とディスられる、ということがたまに起こります。
これは本当にイケてませんね。
反論覚悟で書きますが、ビートルズコピーバンドの中には、味という名の「ただ下手なだけ」なバンドがいます。
下手なのは悪いことではありませんし、自由にやって構いません。
しかし、下手な人が「味」を盾に上手な人をディスるという現象は何かねじれています。
ビートルズの味を求めるバンドもいれば、演奏技術に魅了され、それを高めることにエネルギーを注ぐバンドもいます。
それは違いであって、優劣ではありません。
ビートルズコピーバンドに限らず、年を取ってもバンド活動をすることはとても良いことですが、音楽という世界で若者を自分の主観に頼ってディスると、その活動は健全なものとは言えなくなっちゃいますね。