記事の主旨はキラキラネームですが、私が気に留めたのは、記事中の幼少期英語教育についてです。
これについては、私は林先生と同じ意見で、英語の幼少期教育には疑問を持っています。
幼少期から英語教育を施す親の思惑は、将来英語が役に立つから、というものです。
確かに英語力は今後ますます必要とされていくことは否定しません。
しかし、ほぼすべての人が、時期さえ来れば英語を学べるという義務教育プログラムがありながら(そのプログラムが欠陥だらけなのは否めませんが、、、)、それよりも早い段階で英語教育を施そうとする、というところがポイントです。
それは、早く学べば学ぶほどラクに学べるから、という考えから来ているのではないでしょうか。
この考え方は、小中高一貫教育をしている学校の小学校受験をさせる親の考えにも見られます。
小学校受験で合格していれば、中学受験、高校受験で苦労する必要がない、つまりラクだということです。
しかし、この考え方って打算的に過ぎませんか。
例えば、英語が必要ならば、ある程度の年齢になって海外に住めば良いだけです。
脳の吸収力の良い10代後半から20代前半ならば、1年の滞在でコミュニケーションにこまることはないレベルに達します。
しかも、海外の文化に現地で触れられるという特典付きです。
そして、昔と違い海外滞在のハードルはとても低い。数ヶ月アルバイトして貯金すれば、ワーキングホリデービザあたりを使って誰でも海外滞在可能です。
これほどハードルが下がっている海外滞在、英語習得を「苦労」としか捉えられないから、その逆であるラクを求め幼少期英語教育、となるわけです。
特に一部の親世代は、同世代で英語が堪能な人を見て羨ましがったり憧れたりする傾向にあるので、子供に英語力を期待するのです。
そこに欠けているのは、「あなただって今から英語は学べるはずだ」ということに気づかないことです。
私は一時期海外にいましたが、海外にいてもちっとも英語が話せない日本人にもたくさん出会いました。それは、決定的に「学習力」が足りていない。
記事中ではそれを思考力と書いていますね。
学習力、思考力は、生きていく上でどんな分野にすすんでも必要となる能力です。
英語力なんて、学習力、思考力があればいつでもつけられます。世の中にある様々な能力に大人が勝手に優先度をつけ、その能力を「とりあえず」つけさせておけば後々ラクだろう、というのは、それと引き換えに学習力、思考力がつかない、という思慮に欠けているのではないでしょうか。
子供は大人を見て、感じて、育ちます。
大人が打算的な考えで接すれば、打算的な考えをする人間が育ちます。
大人の考えが浅かったら、考えの浅い人間が育ちます。
それを望むのならば、そういう教育で良いのかもしれません。
しかし、子供のことを思って、という考えならば、あと一歩その考えを深めるべきだと思います。
上に、英語力は今後も必要だと書きましたが、今後必要となる能力なんて本当に多岐にわたります。
その中で本当に何が役に立っていくのかなんて、どんなに頭が良い人でも予想できません。
しかし、思考力、学習力が不要な時代は間違いなくやってきません。