自分自身で極論と思って書きます。
計算って手でやる必要あるんですかね?
子供の頃から電卓でやっても良いと思いませんか?
だいたいこれに対する反論は、「電卓では、ボタン押して答えが出るだけ。ちゃんと計算の過程を踏まえることによって考える力が身につく」みたいな感じですね。
本当にそうなんでしょうか?
ちなみに、だったらそろばんはどうなるんでしょう。
そろばんはアタマの中で足し算をしているわけではないと思います。
何かを何かに足すときはこういう風に珠を動かす、ということを反復練習で身につけている、と言えます。
それって考える力なんですかね?
だからそろばんもNGだ、とするひともいるでしょう。
では掛け算九九はどうですか?あれは完全に記憶でしょう?
例えば3☓2の答えがすぐに6とわかる人の中で、頭のなかで3を2回足しているという人はまずいません。
「さんにがろく」というフレーズを暗記しているだけです。考える力とはちょっと違いますよね。
私は暗記学習が全てダメだと言っているわけではありません。よって九九も別に否定しません。暗記や反復学習で身につく能力もあります。
手で計算することによって考える力が身につく、というのも、実は分からないでもありません。
しかし、だとしたら大人だって極力計算機を使うべきではないでしょう?むしろ大人の方が脳の老化防止のために計算機を使わない努力をしないといけない。
時間がない?
いやいや、時間があるときも確実に計算機を使ってますよ。
それから、子供だって時間がないときはあります。
冒頭に書いたように、これは極論です。
しかし、中学生くらいになっても、日本はいまだ電卓使用は認められていません。
中学生くらいになったら、四則演算の何たるかくらいもう理解していますので、わざわざ手入力させることによって考えさせることに時間を使うよりも、もっと高次元なことに時間をかけるべきではないでしょうか。
さらにさらに、大学受験、つまり高校卒業時点でも電卓は禁止でしょう?
大人になったら手で計算なんて誰もしないのに、大学受験では手での計算を要求し、それでミスする人をふるいにかける、なんていうことをやっているわけです。
ちなみに、多くの海外の国は電卓も辞書も持ち込みOKです。
電卓ばかり使うと考える力が身につかない。
そういっている人はさぞかし手で計算してきて、考える力が身についているのでしょう。
しかし、考える力が身についている人は、手で計算することによって考える力が身につく、なんていう非論理的なことを言うんでしょうか・・
それに、簡単(=便利)さがアタマを悪くするのならば、どんどん便利になってきているこの時代、人はどんどんアタマが悪くなっているはずですが、そうなんですか?
世代で見ても、年上であればあるほど頭がよく、若ければ若いほど頭が悪いということになっちゃいますが、私は全くそう思いません。
若い人のほうが、より柔軟な発想をしていますけどね、、、