日本人の考える神は、いわゆる八百万の神というやつですね。 キリストのような人格神ではなく、すべてのものに神が「宿る」という捉えかたです。
私は結構合理的に物事を考える方です。 そんな私にとっては、人格神的なものはちょっと信じがたい。 人を神が作ったのならば、なんで神は人の形をしているのか、という矛盾もありますしね。
しかし、すべてのものに神が宿るという考え方は、わからないでもないです。
日本が広いのか狭いのかは相対的なのものなので簡単には判断できません。
実際、ヨーロッパと重ね合わせたら、意外に日本は広いと感じます。
メルカトル図法で世界地図を見てると感覚が変わりますね。
しかし、やっぱり海に囲まれていることもあるし、そのうえ人口も多いし資源も少ないので、様々な工夫が必要とされるのではないでしょうか。
様々な工夫、なんて言い方をしたら大げさですが、そのうちの一つは要するにモノを大切にしよう、だと思います。 すぐに捨てずに、何かに使えるのならば活用していこう、という考え方です。
この考え方と、すべてのものに神が宿るという考え方は、とても似ていると思います。
そもそも神という言葉には、(相対的にではなく)絶対的に正しいという概念があります。 理由を考えるまでもなく正しい。 その神がものに宿っているのだから、ものを大切にするのは至極当たり前、ということになります。
せまくて資源に乏しい日本に、八百万の神という概念が定着したのは、こういった意味で納得いきます。
すこしだけアップデートしてほしい点は、神が宿る対象がものだけ、ということです。 例えば時間や空間はどうなんでしょうか。
時間にも神が宿るのならば、時間も大切に、ということになります。 空間にも神が宿るのならば、不要なものは捨てたほうが良い、ということになります。
結局、神がものに宿るのならば、かたちのないものはかたちあるものよりも低次なものになりますが、それは果たして正しいのでしょうか。 私は、かたちのないものにこそ、神的な何かが宿る、そんな気がします。
例えばそれは音楽です。
音楽を奏でる楽器はかたちあるものですが、音楽自体にはかたちはありません。 CDにはかたちがありますが、流れてくる音楽にはかたちがありません。
音楽の魅力は楽器ですか? 音楽のかたちはCDですか?