戸籍って、名前からしてかたっ苦しいイメージがあります。 そして、普段はまったく意識しません。 というか、使いません。
ちなみに、アメリカには戸籍という概念がありません。 そして、戸籍がないことによる弊害は特に見当たらないと考えられます。
こういうことを言うと、またアメリカが~、海外が〜という外国かぶれだと批判されそうですが、他の多くの国で戸籍がなくても社会が回っているのならば、なくせる可能性を考える余地がある、ということですね。
弊害が全く無いのならば、放ったらかしておけば良いでしょう。 でも、正直面倒です。
また、詳しくはわかりませんが、その管理にはそれ相応のコストが発生しているはずです。 しかも、多分コスパの悪い紙での管理です。 それによって人件費もさらにかかるので、2重3重にコストがかかっているのです。 雇用を生んでいるとも言えますが、コストは強制徴収である税金から払われるので、純粋な雇用とは言い難い。
マイナンバーはセキュリティーの問題だとか運用の仕方などで文句を言っている人も多い。 それらの指摘は的を得ているものもあります。
しかし、じゃあ戸籍制度はどうなんだとも思います。 あれだったかなりの個人情報です。 すでに国が管理しているものですよね。
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私が小学生くらいの頃まで、私の住んでいる地域で外国人をみかけることはまずありませんでした。 はじめて東京に行ったときに、テレビで見るような青い目をした外国人がその辺を歩いているのに驚いたことを今でも鮮明に覚えています。
あれから年月が流れ、私の住んでいる地域で外国人を見ることなんて当たり前になりました。 なんなら、最も親しい地元の友人は、アメリカ人と結婚しました。
交通機関が発達し、移動が速く、安くなりました。 情報技術が進み、地球の裏側の情報が、無料で2秒で届くようになりました。
これらの現象は、日本人が当たり前と思っていたことが実は当たり前ではなかったということを認識するよいきっかけになりました。
なにも、日本が世界に合わせなければいけない、と思っているわけではありません。 ただ、世界で当たり前ではないことだったら、そもそも論でイチから考え直すことができる、ということも言えます。 その結果今と同じになっても、思考停止よりはだいぶ良いのでは、と思います。