日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

もうルールを作る時期なのでは?

https://www.j-cast.com/2018/05/04327588.html?p=all

今から20年くらい前までは、身障者専用の駐車スペースそのものがなかった、または今よりかなり少なかったと思います。 それが増えてきたのは、身障者の方への社会的配慮で、とても良いことだと思います。

しかし、システムを作ったところで個人が変わらなかったら、やはり改善はされません。 身障者用の駐車スペースに健常者が駐車するという行為をどうやって防ぐか、ということを考えなくてはいけませんが、その一つの対策でこの三角コーンを立てることが行われたのでしょう。

自分も含め、これによって身障者の方がさらに大変なことになっているとは想像できませんでした。記事中にあるように、警備員の方や管理の方がいた場合に助けを求めると快く対応してくれる場合が多いということなので、基本的には身障者に対する思いやりはあるのだと思います。想像力の問題ですね。

さて、健常者が身障者用スペースに車を駐めないようにするためのちゃんとしたルールはありません。ルールというのは、なければないほど良いのだと思いますが、そうも言ってられないでしょう。 私は健常者が身障者用スペースに駐めていることが発覚した場合には、何かしらの罰則を与える段階に来ていると思います。

そう思ってしまうくらい、その風景をよく見ます。 コンビニなど小さな店で、身障者用のところ以外が満車の場合に、魔が差して駐めちゃった、というのもだめですが、もっと酷いのは大型ショッピングセンターのような大きな駐車場があるところです。 店舗入口から遠いところにある駐車場は空いているにも関わらず、ただ近いというだけで身障者用に駐車する健常者を結構見ます。 あれは本当にありえない。

身障者も健常者も平等に扱うべきだ、という意見もちらほら聞きますが、私は全然そう思いません。 そもそも人は性別も体格も性格も環境も、なにもかもが平等ではありません。 だから、目指すべきは平等ではなく公平だと思います。

人には他の動物にはない理性があります。 動物ならば、障害をもって生まれてきても優遇されることはないでしょう。しかし人は違います。 そこがとても人っぽいところだし、素晴らしいところだと思います。

願わくば、ルールを作らなくてもよい社会であれば良いと思います。 もし作るのならば最低限にしておきたい。 しかし、繰り返しますがこの問題はもはやルールを作らなくてはいけない段階に来ていると思います。悲しいことですが。