頑張るという言葉には魔法がかかっている。
魔法といえば大げさだが、その言葉でその場が「しまる」ような気がするのだ。
「頑張ってね」
「頑張っていこう」
「頑張りなさい」
頑張るという言葉の具体的な内容を考えていみると実に面白い。
例えば、朝一で
「今日も一日頑張ろう!」
と言ったりする。
これは、具体的に何をすることを意味するのか?
例えば、それが仕事だった場合、
「今日も一日仕事しよう!」
と言えば良い。
しかし
「今日も一日頑張ろう!」
「今日も一日仕事しよう!」
の二つは、なぜか印象が違うように思う。
ということは、完全にイコールでは無いのだ。
その差は何か?
それは、頑張るという言葉には「なにかしら大変なこと」に対する行為というニュアンスが感じられることではないだろうか。
例えば上記の場合、その日は比較的楽な仕事だった場合は、今日も一日頑張ろうとは言わないだろう。しかし、楽でも仕事は仕事なので、今日も一日仕事しよう、とは言うはずだ。
頑張るという言葉は、正直あまり好きではない。
なぜなら、そこには「大変なこと」「苦労すること」に対しての美徳が感じられるからだ。
「これからも頑張ってね」
という言葉は、これから大変なこともあると思うけど、それを乗り越えていってね、という奥の意味があると思う。
逆に言えば、「大変なこと」や「苦労すること」が無い状況、環境というのは無いんだ、ということを暗に認めている気がするのだ。
とんでもない。
苦労なんて、無いに越したことはない。何かをやり遂げようとした時にする苦労は結果論であって、自らそれに向かっていく必要はない。
楽に何かを成し遂げられるなら、苦労して成し遂げるより良いであろう。
(重ねて言うが、人生に成功している人が「結果的に」苦労をしたのであって、苦労したから成功したのでは決して無い)
今後、「頑張る」という言葉を自分が発するときは、それをより具体的な言葉に置き換えられないか考えてみると面白い。
置き換えられる言葉が見つからなかった時は、その頑張るという言葉は、「何かしらの大変なことをする」「何かしらの苦労をする」というだけのニュアンスで使おうとしているだけで、実はほとんど中身がないので注意。
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このように変えたら、聞こえ方も変わらないだろうか?