天才というのが世の中にはいる。
これは至極当然で、見た目も中身もほとんどの全てのひとに置いて差異があるのに、能力に関してだけ差異がない、というほうがむしろ不自然だ。
そんな天才の残した言葉は、天才だけに簡にして要を得る言葉が多い。
Apple創業者、スティーブ・ジョブスの言葉
「Stay hungry stay foolish」
「人生は冒険、仕事も冒険、そして生きるのも冒険」
「モノを作る前に人を作れ」
「成功は、最低の教師だ。優秀な人間をたぶらかして、失敗などありえないと思い込ませてしまう」
どれも素晴らしい言葉だ。
しかし、これらの言葉を聞いて「よし、俺もやるぞ!」という気になるきっかけにする「以上」のものを求めるのはどうかと思う。
名言は偶然出てくるものではない
まず、この人達は名言を残そうと思ってこういう言葉を生み出したのではない。
思っていることをそのまま言葉にしただけだ。
つまり、大切なのは言葉そのものではなく、その言葉を生み出す「人」に近づけるか。
そして、冒頭に書いたように、人はみな違う。
だから、こういう名言を生み出す人に、仮に近づくことはできても「なること」は不可能だ。
名言を生み出す人の背景
天才でない自分は、こういう言葉を生み出すその人の人生に興味がある。
その人の本を読み、ネットで情報を探し、「そういった人生を歩んできたひとからでた言葉なのか」と自分なりに解釈したときに、やっとスタート地点だ、と思っている。
そして、できるだけ多くの名言、本に触れるようにする。
スティーブ・ジョブスとビル・ゲイツは、世界一有名なライバルだと思うが、どちらも成功者に違わず、にも関わらず中身は全く違う。
どちらのほうが正しい、間違っていると言っても不毛なので、どちらも読む。
要するに、いくつかの名言を読んだだけで、役に立つことはほとんどない。
その名言を豊富なバリエーションと量で知ることによって、自分の力で自分の糧にしていくしかない。
端的の美学
もう少し掘り下げて名言のことを考えると、それはその後ろにある哲学の「タイトル」に属するものだ。
一冊の本を端的に表すタイトルが名著には求められるが、そのタイトルの素晴らしさは、「端的に表している度合い」が素晴らしいのであって、タイトル自体が持つ素晴らしさではない。
素晴らしいタイトルは、その本をみえない力で手に取らせ、内容が良ければさらにその著者の人間的背景までに興味をわかせる。
つまり、タイトルは入り口であって、それ以上のものではない。
タイトルだけをみて「わかった」となる本は、その本が読者に伝えたいことを伝えられているとは言い難いし、その本をお金を出してわざわざ買う人もいない。
(タイトルだけなら、立ち読みすら必要ないレベルだから)
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「名言の背景に目を凝らせ」
あえて言えば、これが真理に近い名言ではないだろうか。