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数日前の記事だ。
道徳教育は、本当に難しい。
ここに書いてあることは、全くもってその通りだと思う。
また、実は教育現場ではこういったことは多々あるのではないだろうか。
ここでも問題になっているが、こういった事故が起きた時に、一番大切なのは、再発を防ぐために、その原因を追求し、対策を考えることだ。
おそらくこれは、道徳教育なので、道徳という側面からその部分には触れていないということだろう。
しかし、過度に情緒的な考え方は、合理性や論理性を阻害する。
確かにこの話で出てくる主人公が、相手を許すことができるのは素晴らしい心をもってすれば可能かもしれないし、良いことなのかもしれない。
しかし、それによってこの事件は再発防止できるかといえば、そんなことは全く役に立たない。
ここで触れていないだけなのだが、触れていないのは、本当の原因から目をそらさせるのだ。
道徳には答えがない
そもそも、教育という現場において、道徳というのはどのように教えるべきなのだろうか。
自分の意見では、他の教科と違い、道徳にはしっかりとした答えが無いのだから、ひたすら意見をださせて、言葉は悪いがそのままにしておけば良いのだと思う。
この例では、こういった事件があったということに関して、許す方が人として素晴らしい、といった誘導をするから面倒なことになってしまう。
そういった感情は抜きにして、まずは事実関係だけを示す。
運動会で行うピラミッドの練習で、ある人Aがバランスを崩したことにより、ある人Bが骨折した。
これだけで良い。
この事件についてどう思いますか、と生徒に聞いてみたら、様々な意見が出るだろう。
- Aのバランス感覚が悪いので、バランス感覚を養うべき。
- Bが骨折したのは、それだけからだが弱いので、より健康に気をつけるべき。
- 運動会なんてものがあるから、事件が起きるので、運動会をしなければ良い。
- ピラミッドを別の競技に変えたら良い。
おそらく、まだまだたくさんの意見が出るだろう。
そこで出る意見は、社会にいる大人たちの主張の縮図だろう。
自分の意見を言い、他の意見を聞くことが重要
ここで、小学生だからという理由だけで、答えを示さなければいけない、と考えることが問題だと思う。
こういう授業で大切なのは、様々な意見を生徒に出させ、それをほかの人も耳にし、色々な意見があるのだという事実を知ること。
そして、答えを出さないことだ。
なぜなら、答えがないから。
道徳のような、答えがないものを教育現場に持ち込むのならば、こういった方法しかないと思う。
しっかりとした答えを求めるのならば、上述したように原因を徹底的に追求して、再発防止に取り組む方法を教えるべきだ。
怪我は無い方が良い。
法律は守らなければならない。
これには、ほとんど(?)の人が同意だと思うので、論理的に話ができる。