身内がちょっとした事故にあい、家族で自分しかいけなかったので、病院に出向いてきた。
自分自身は普段から健康だし、運良く事故にも全くあわないので、子どものためにいく小児科以外の病院に行く事自体がかなり久しぶりだ。
そこはとてもとても大きな病院で、かつ数年前にリニューアルしたばかりなので、施設も綺麗だし、デザインも洗練されている。
最近の病院は、堅いイメージを払拭したいのか、雰囲気を柔らかめにするための工夫(案内表示の文字フォント、壁の色や柄など)が所々に見られる。
また、病院敷地内、入り口横スペースには、産地直送の野菜販売スペースまであり、そこだけ見ると、ここが病院ということを忘れてしまうくらいだ。
医療機関には、関係ないサービスが不要だった時代
その昔、医療機関に、医療と関係ないサービス向上の努力はなかったように思う。
そういったことが最も顕著に現れるのが「人」。
受付スタッフの対応などは、他のサービス業のそれと比べると、サービス精神が低かったように思う。
医療機関は、病気や怪我を治す機関であり、サービス機関とは違う、よってサービス精神も不要、というわけだ。
サービスが当たり前の時代に
日本の接客サービスレベルというのは世界で突出しており、コンビニの様な平均客単価が低い店でも、笑顔で接客、言葉遣いに気を使うのが当たり前だ。
時代が進み、それが当たり前になると、サービス精神不要である医療機関は、相対的にサービス精神の低い場所、人になってしまうのだ。
さらにネットなどでその価値観が共有されるようになると、さすがに不要論を唱えるだけでは風当たりが強いので、サービス向上を図る、といったところだろうか。
結果、医療機関に限らず、現代はどこに行っても、平均的には質の高いサービスを受けることができる。
スーパーの駐車場警備の人も、昔のイメージでは淡々と仕事をこなしていたが、今は警備の人もいらっしゃいませ、ということも少なくない。
サービス向上の理由は違うが、高速のサービスエリアも格段に良くなった。
過渡期には変化にエネルギーを使うが、慣れれば大したことない
オリンピック招致の時に有名になった言葉「おもてなし」。
これは、日本人が生まれ時からなんとなくおこなってきたことで、たしかにおもてなし精神は、日本人にとっては当たり前、それが海外に人々には美しく見えるようだ。
意識せずとも人にサービス精神を持って接することができれば、それは素晴らしい。
過渡期は、「なんで俺たちが笑顔ださないといけないの?」と言う反発もある職種や職場もあるだろうが、そこを譲歩してもらえれば、健全な空気を作ることができる。
空気ができてしまった時には、恐らく反発心も雲散霧消しているに違いない。
価値観が多様化している現代は、過渡期であろう。
だからこそ、自分たちを変えていくことに前向きになることが、そうでない時代よりも、より求められている。