フリーランスの為のお役たちサイト「レバテック」に、記事を掲載して頂いた。
大変うれしいことだと思う反面、自分以外の方の記事が本当によく出来ている、と思い少しへこんだあと、良い刺激と思うようにした。
ブログを書き続けて気づくこと
ブログを毎日毎日書き続けてもう結構経つが、内容がある程度重複することがあるものの、毎日ネタは出てくる。
よって、書くことにさほどストレスを感じない。
そんな自分を冷静に分析すると、世の中の雑多なことに対して、堅すぎる自分の意見を意外と持っているし、書くことをおそらく人よりは楽しめるタイプなのだろう。
この2つはセットで、どんな内容でも書くことが苦にならないわけではないし、意見を持っているといっても、それを不特定多数の人に向けて「話す」ことは好まない。
前者に関しては、ソーシャルネットワーキングでライティングの仕事をいくつかしたのだが、自分が好き勝手に書くこのブログほどは楽しめなかった。
後者に関しては、「話す・聞く」というセットと「書く・読む」のセットの違いが重要で、話す・聞くは、リアクションに良くも悪くもスピード感がある。
書く・読むは、「書く」から「読む」、そしてリアクションという流れにタイムラグが生じる。
最も、「話す・聞く」の場合、TVメディアのアナウンサー、コメンテーターなどは、庶民の自分たちの話す、聞くとは構造が全く違うので、この限りではない。
少し内容がそれたが、書く方が自分には馴染む、と感じる。
しかし、最初に戻るが、好き勝手に書く内容ですら、やはりその分野の能力が高い人は、プロをふくめて世の中には多くいるようで、それらが天性の才能でないとしたら、それは探求、継続の証だろう。
本当に尊敬する。
スキル向上のために必要なことは、時代を経てもあまり変わらない
自分の本職は音楽だが、音楽のスキル向上も文章力アップも結局は同じことだと感じることが多い。
つまり、「コツ」的なものは初心者レベルでは多々あれど、中級以上になるとそういったものはまったくなく、ひたすら没頭し、研究し、楽しむことを続けるしかない、ということだ。
そんな中で、中級者以上がスキルアップのために地道な時間を使い続けるのは、時代背景を考慮すれば、より難しいのかもしれない。
しかし、世の中がいくら便利に変わっていっても、ヒト自体の根本的能力は誤差レベルでしか変わらない。
むしろ、体力的なものなどは便利さが故に下がったのかもしれない。
(現代で飛脚になれる人なんているのだろうか)
だとすれば、便利になった時代に生きている自分たちは、便利になったのはあくまで環境だけで、自分たち自身の「ハード」は、そんなに変わっていない、と再考する必要がありそうだ。