僕は、普段音楽学校で講師をしている。
今日そこで起こったこと。
それは、「親の責任とは?」ということだった。
昨日学校に電話があり、担当スタッフが出ると、ギターを今日買ったばかりで、すぐにレッスンを受けたい、とのこと。
最初は肝心なので、これは良い心がけだが、残念ながら1日前に予約をいれて、すぐに対応できるほど暇を持て余しているわけではない。
事情を話しても埒があかない様子で、担当したスタッフに詳しく聞くと、そこでごねているのは、母親だというのだ。そして、レッスンを受ける子は中学3年生の女の子。
どうにか予定を調整し、本日のレッスンをむかえる。
レッスンには母親と、二人で来校。
最初に簡単なアンケートや質問をするが、その子はほとんど何も話さない。そしてほとんどの対応を母親がする。
見るからに、その子は不機嫌そうな様子。
こちらから説明をしているときも、話を遮って自分の話をし始める(そういう人、たまにいますね)のをみて、聞こえるかどうかの声でその子は言った
「黙って・・」
レッスンに入って最初は、母親も一緒にいたが、ここでもその子は無口。まるで母親に対してレッスンしているようだ。
10分くらいたち、母親が退室。
すると、その子は人が変わったように笑顔になり、たくさん話し、質問をしてきた。
顔立ちもよく、性格もよく、なんとまあ良い子だ、という印象。
1時間のレッスンを終え、母親と再会、するとまた無口。
結局そのあとはほとんど話さずじまいで帰宅。
親の子に対する責任とは何だろう。
母親は、その子の為を思って、いろいろと先回りしてやってくれているのかもしれない。そこに悪意はないであろう。当然だ、親なのだから。
しかし、親も、子育て、教育に関しては、実は素人なのだ。
良かれと思ってやることが裏目に出ることもある、という意識はもっていないと、とんでもないことになる、
今回の場合、母親はその子の先回りをして面倒をみているが、冷静に考えれば、これは「子供に物事を考えさせない」行動になってはいないだろうか。
レッスンの予約から、来校方法、アンケートや各種手続き、中学3年生ならば、ほとんど問題なくできる。もしできなくても、聞けばわかる。調べればわかる。
これは、生きていくうえでどんな局面においても至極当然のことだ。なにかをするときに、自分で考え行動する。わからないことは調べ、人に聞く。
子供に物事を考えさせない環境を作った親は、その子が自分のもとから去って独り立ちしていく時に、胸を張って送り出せるだろうか。
それとも、子供と同じかそれより長生きし、いつまでも面倒みてあげるつもりなのだろうか。
物事は短期的な見方と長期的な見方が必要だ。
その場で子供の手助けをするのは、短期的には楽かもしれない。経験があるため、物事はスムーズに進むし、子供は何もしなくていいので、楽だ。
しかし長期的にみたらどうだろう。
独り立ちする年齢になって、いざ気づくと何もできない、そんな人間に自分の子がなることを望む親はいるだろうか。
僕には1歳半の娘がいる。かわいさといったら、筆舌に尽くしがたい。
親としての責任を果たすために、どういった接し方をすれば良いのか、を深く考えさせられる日だった。
少なくとも、今日の件は「反面教師」とみなしてよいだろう。