https://withnews.jp/article/f0180918001qq000000000000000W03j10101qq000018011A
教育に関心がある私にとっては、いじめの問題は深刻な問題の一つです。 これまでもブログで関連の記事を投稿してきました。
http://famo-seca.club/thinking/2017-01-24-115327/
http://famo-seca.club/education/nickname/
http://famo-seca.club/thinking/2017-03-19-120612/
http://famo-seca.club/thinking/2016-09-19-133742/
これらの記事と重複するの内容もありますが、あらためて投稿します。
いじめが起きる原因、これを加害者側、被害者側どちらかのせいにするというのは単純化しすぎです。 実際には双方に複雑な要因が絡んでいるし、そもそもいじめを発生させやすい「空気」というのがあります。 空気というのは、直接コントロールするのは非常に難しい。
以前にも紹介しましたが、学級担任もいじめに加担して葬式ごっこをした、というとんでもない事件がありました。
これを読んだら、多くの人が加害者を「酷い」と罵倒するでしょうが、そう言っている人たちは葬式ごっこが起きた空気を知らないで言っているわけです。 念の為、正当化しているわけではありません。厳罰に処されるべきです。
どうすれば、そんな空気が作られないか。 私は、「逃げるのは恥ずかしくない」という意識をもたせることだと思います。
日本は特に、という感じがしますが、何事からも逃げずに、諦めずに、一生懸命やる、ということに美学があります。 それは別に美学としては間違っていないと思いますが、なんでもかんでもそうなると必然的に「逃げることが恥ずかしいこと、良くないこと」という意識が育ちます。
いじめられたら、逃げる。いじめが原因で学校に行きたくなかったら行かない。 長い人生、ちょっとくらい学校にいかない時期があったって、大した影響はありません。 しかし、そこで無理やり通学を続けたために、心に深い傷を負って人生に悪影響が出る、ということは多々あります。 「嫌なことがあっても逃げるな」というくだらない、非合理的な哲学を子供に押し付けないことです。
加害者側に問題はないのか、と反論が来そうですが、そういうことではありません。 繰り返しますが、いろんな理由があります。 だから、すくなくとも「逃げる」という選択肢をちゃんと持っておくことが大切だ、というとです。