驚くべき数字だが、事実なのだろう。
問題解決の第一歩は、事実を受け止めることだ。
上記リンクは内田良氏の記事。
氏は、自分が記事を追い続けいているジャーナリストの1人で、あらゆることを、感情論ではなくエビデンスで斬っていくところが、非常に説得力を高めている。
この記事の内容とかぶることも多いが、自分なりのこの問題に見方を投稿する。
結果とプロセス

- 作者: 戸部良一,寺本義也,鎌田伸一,杉之尾孝生,村井友秀,野中郁次郎
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1991/08
- メディア: 文庫
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失敗の本質という名著がある。
日本の敗戦で終わった第2次世界大戦における、日本軍の失敗を、感情論などを極力除き、あらゆる分野の専門家が分析をしたものだ。
その中に、日本(軍)は、結果よりもプロセスを圧倒的に重要視する、という件がある。
戦時中はこれが行き過ぎて、結果が悪くなることは明白なのに、その行為をすることを美徳とする空気があった、というものだ。
特攻などは、顕著な例だ。
これを読んだ時に、あの戦争から70年経つ今でも、この名残が色濃くある、と感じざるを得なかった。
そして、それを最も感じたのが、教育分野だ。
教育の目的(結果)は、人間育成
日本の義務教育では、とにかく毎日学校に行かせることが大事だ、と教えこむ。
教育の最大の目的は、人間育成だ。
毎日学校に行かせることが、全ての生徒にとって人間育成に役立つかどうか、ということはしっかり考えられているのだろうか。
毎日行かせることが大事、という考え方だけが独り歩きしてはいないだろうか。
嫌なことでも続けることが大事、ということを徹底的に教えこんだ結果、社会人になって自分に不向きな仕事に就いても、辞めること、逃げることができず、ストレスがたまって鬱症を発症している例はゴマンとある。
過労死する人に向かって、その前に辞めれば良い、という人もいるが、小学生(時には幼稚園や保育園)から、これでもかというほど、続けることが大切、と教えこまれていたら、社会人になっても、仕事を辞めるという実は簡単な行為に、自ら強烈なストップをかけてしまうのは想像に難くない。
話が脇道にそれたが、中学生の自殺が年間100件を超えるという異常事態にもかかわらず、学校に毎日行くことを強要するのは、思考停止しているとしか思えない。
つまり、学校に行くという人間育成の為のプロセスが、結果的にその一部の生徒を自殺に追いやるという結果よりも重要視されているのだ。
嫌なことを続ける暇があったら、より好きなことを探す時間に充てよう
嫌なことを毎日続ける必要なんて、ほとんどない。
毎日続けても嫌ではないことをみつける機会をたくさん持つことのほうが大切だろう。
「大人になったら、嫌なことでもしなくてはいけないだらけだから、小さい頃からそれに慣れさせる」
よく大人が口にするセリフだ。
しかし、子供ははたして、嫌なことをうけとめるだけで新しいことを見つけようとせず、後ろ向きな人生を歩んでいる大人に憧れるのだろうか。
逃げるという表現に、マイナスイメージが付きまとうのも問題だろうと思う。
逃げるのではなくて、別の選択肢を選ぶだけだ。
学校に行って授業を受けるという選択肢が、常にどの生徒にとってもベストな選択肢ならば、年間100名以上が自殺するというデータを前にしても、ベストだ、と言ってもらわなくてはいけない。
それではあまりにも悲しすぎる。