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口にするのが恥ずかしくなる言葉、グローバル化。
恥ずかしくなるのは、そんな言葉を使う以前に、目の前にグローバルが横たわっているからだ。
身に着けている衣服は中国製。
食卓に並ぶのは、アジア諸国からの輸入食品。
だから、グローバル化と言う言葉を使う必要はもうない、のだろうか。
唯一(?)グローバル化と現状に捻れが生じているものがある。
情報だ。
英語は、情報流通の基本
現在の情報は、その多くがインターネットを通じて入ってくる。
マスメディアの提供している情報はもちろんたくさんあるが、マスメディアの中で、その情報を探るのにインターネットを使っていない組織は絶対にない。
インターネットの良さは、宇宙飛行士が言ったことを具現化していることだ。
地球に国境は無い。
一部の外国を除けば、インターネットは世界中の情報にアクセスできる。
実際に行こうと思ったら何十時間もかかる場所でも、情報だけならば2秒でアクセス可能だ。
しかし、アクセスだけでは意味が無い。
それを理解しないと情報としては意味を成さない。
そこに立ちはだかる壁が言語、日本人にとっては英語だ。
このグラフを見て分かる通り、インターネット上の情報の内、英語と中国語だけが突出している。
日本語は英語の1/8だ。
つまり、英語の情報を理解できるようになることは、情報量が8倍にあがるということになる。
情報は、幅広く得るのが最も大切だ。
日本の企業が提供している世界のニュースは、その捉え方にどうしても国家としてのバイアスがかかる。
これはどう気をつけても限界があるので、情報を受け取る側が、幅広い情報源をもっているべきなのだ。
世界共通語が英語なので、英語の情報が多いのは当然。
つまり、英語を理解できれば、幅広い情報を得ることができ、健全な情報流通が行われる。
冒頭に貼ったリンク、タイトルに、「使える英語」どう教える(か)と付けられている。
使える英語とは何か、を考えないと、中身の無い教育になる。
しかし、言語の壁による情報の壁は、上記グラフを見る限り無視できない。
日本のミカタ、海外のミカタ
昔海外に住んでいた時のこと。
どちらの意見が正しい、間違っているではなく、所変わればこんなにも世論も変わる、というのを実感したことを覚えている。
人はみな違う。
国もそれぞれ違う。
それを心の底から実感し、共生していくには、たくさんの情報源を持つことがもっとも効果的だ。
その第一歩が英語。
英語を教える現場にいる人は、少なくともこういった大きな重責を担っていることを意識して教育することを忘れないでほしい。