性同一性障害という病気の認知度は随分あがったと感じる。
少なくとも自分が若い頃は、そんな病気も、言葉も知らなかった。
2013年の統計によると、2800人に1人いると言われており、日本の総人口に当てはめると4万6000人にのぼる。
メディアの役割は情報を広く世間に伝えることがまず第一だ。
北海道で起こった事件のことを九州の人が知るためには、それが情報として伝達されないといけない。
それを担うのがメディア。マスメディアからインターネットメディアまで様々なメディアを介して情報が伝わる。
情報は、知識と言い換えることもできる。2800人に1人という確率は決して高い数字とは言えない。
小学校の全校生徒が500人いたとしたら、5,6校全部集めた中に1人いるかどうか、ということになる。皮膚感覚としてはゼロに近い。
その皮膚感覚と、実際の現実をすり合わせる為に、情報や知識が役に立つ。
皮膚感覚ではゼロ、実際にはゼロではない、という風に。
情報、知識を求めるのは人の本能に近いのかもしれない。
なんといっても、江戸時代からかわら版があったくらいだ。
当時の人だって、その情報、知識が直接自身と関係なくても、「俺には関係ない」という人より、なぜか「へー・・・」と興味を持つ人の方が多かったのではないだろうか。
日本のような先進国では、当たり前のように、そこにお金が絡んでくる。
人が情報、知識を渇望することに目をつけ、利益を生み出そうという個人や団体が出てくるのは当然だし、悪いことでもない。
しかし、メディアの存在第一義は、やはり情報、知識を広く世間に伝えることであってほしい。
100%公平・公正な報道が難しいかもしれないが、それを目指してほしいと願う。
そこで邪魔になるのは、やはりお金だ。莫大な利益があがる情報、知識や、逆に大きな損失が生まれる可能性のある情報、知識は、それが絶対的事実であっても覆い隠されたり、意図的に優先度を下げられたりしてしまう。
そこを変えたのはインターネットかもしれない。
インターネット上での情報は、ますメディアに比べて、良くも悪くも「隠れた」お金の動きが少ない。
人の情報、知識に対する渇望に、どこかの誰かが応えているだけ、というものも多い。
故に、信頼度も保証されない。
しかし、少なくとも世の中の多様性だけは感じることができる。
本当のこともデマも、それを疑いつつ読めば、要するに「いろんな人がいるんだな」ということだけは感じることができる。
その多様性を紹介して、直接的な利益や損失が生まれようが生まれなかろうが、関係ない。
ただその情報、知識がほしいと思っている人と、与えたいと思う人がいるだけで成り立ち得るのがインターネットだ。
世界には50億を超える人がいる。
その数字はよく知っていても、その多様性を感じることは難しい。
日々の生活の中では、自分の周りの数名、多くても100人くらいをみて、世の中の「普通」を測っている。
それが、100/50億ということを、せめて知識だけでも良いので実感し、わかろうとするスタンスに立ちたいと願う。
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冒頭記事、こういう要因で自ら命を絶つ人が今後少なくなっていくように。
いろんな人が(距離はたとえあっても)共存できる社会になっていってほしい。
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