イマドキの、という言葉をあえて使うのならば、イマドキの小学生は本当に大変だ、と感じる。
親が子を思って、受験か英語か両立か、という、昔ならばなかったはずの選択を迫られ、それに振り回される子どもたち。
不況だからだろうか。
親たちは自分の子に苦労させないために、最低限の能力をつけさせる。
それは不況でない時代でも同じだったかもしれないが、今はどちらかというと、勝ち組になれないことを心配しているのでなく、そもそも生きていけるかどうかを心配している印象を受ける。
ところで、文化は経済成長期よりも成熟期のほうが生まれやすい。
経済が潤っている時は、経済的な幸福感が個人にも社会にも蔓延しているのに対し、成熟期は経済的幸福感にも慣れたり、または経済的幸福感が失われたりするので、経済的幸福以外の幸福をヒトは求める。
さて、現在の日本は経済成長期なのか、その後の成熟期なのか。
答えるまでもないが、後者だ。
バブルが突然弾けて窮地に陥った企業、個人は山ほどいるが、その特色は「突然」ということであって、経済成長がストップすること自体は、歴史をみても、世界をみても至って自然なことだ。
現時点で小学生くらいの子どもを持つ親は、バブル期をギリギリ知っているかどうか、という世代が多い。
あの頃と比較して、現在が不況だというのは極端だ。
今は確かに、社会自体の大きな過渡期なので、それにともなう経済的混乱もあるが、バブルだって、いやバブルの時のほうが経済としては異常だったのだと思う。
自分は音楽の世界なので、音楽のデータを出してみる。
音楽も他の業界に負けず劣らず不況だ。
しかし、いつと比較するのか、という問題がある。
宇多田ヒカルのアルバムの売上枚数は800万枚。
日本人は、老若男女合わせて1億2000万人程度しかいないのに、売上枚数が800万枚とは、どう考えても異常としか言いようがない。
この頃とくらべたら、いくら高品質な音楽を世に出したところで、完全に負ける。
バブル期をギリギリ知っている世代は、それと無意識に比較して、今の時代で落ちぶれると、生きていくのすら怪しくなる、と怖れているのではないだろうか。
死ぬことはない、と楽観的に考える余裕もないほどお金がない、というのも事実だろう。
しかし、怖れすぎるがゆえに、受験か英語か両立か、といった、なんだかえらく狭くて少ない選択肢の中で、もがき苦しんでいるように見える。
(記事では「多様化」と書いてあるが、つまりこれまではもっと選択肢がなかったという意味だろう)
何度も言うが、楽観的になれば良い、とは思わない。
しかし、他にも選択肢は山ほどあることも事実だ。
そんな予想をしているサイトがいくらでもあるし、それらの予想はほぼほぼ論理的根拠に基づいていて、十分な説得力をもっている。
そんな未来を前に、受験か英語か両立かなんていう狭い選択肢は、正直誤差でしかない。
未来は良くも悪くも大変そうだし、正確には誰も予想できない。
だからこそ、根本的に、真剣に、「生き方」の選択肢を考える必要があるのではないだろうか。