日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

メディアの信頼度が高い理由と、インターネットの必要性

 
最も尊敬するジャーナリスト、佐々木俊尚氏がTwitterで紹介して話題になっている記事だ。
 
まだインターネットが無い頃に幼少期をすごした自分は、自分たちの言う情報の正しさの証明にマスメディアを使っていた。
 
「だって、テレビで言ってたよ」
 
何度この言葉を使っただろうか。
 

マスメディアによる扇動

 
マスメディアを信頼し「すぎる」のは良くない。
ルワンダの様に、ラジオを使ったプロパカンダで一般人が殺人鬼となり、大量虐殺が起きるまでになったのは、たった20年少し前の出来事だ。 
当時のルワンダにおけるマスメディアは、ラジオ一択だったので、プロパカンダは今より楽なはずで、逆に今は多数のマスメディアが存在するので、それほど簡単に扇動されない、だろうか。
 
日本において、テレビがほとんどすべての世帯にあるこの時代で、一斉に同じ報道をすると、むしろラジオだけしかなかった時代よりも扇動は容易かもしれない、と危惧してしまう。
第一、多数のマスメディアとは言え、大手の数は両手で数えられるくらいしかない。
テレビなら、朝日、毎日、フジ、日本テレビテレビ東京
新聞なら朝日、毎日、産経、読売といったところか。
他にもあるが、全国的知名度を誇るマスメディアは、いくら多く見積もっても20あるかどうかだろう。
1億人以上が生活しているこの国に、だ。
しかも日本の場合、テレビで新聞を紹介するといったことも多々ある。
 
なぜ日本はこんなにもマスメディアに対する信頼度が高いのか。
ここからは、完全に自分の推測で、確固たる統計があるわけでもないが、要素としては否定出来ない。
 

外出が少ない

 
日本人は、休日の使い方が下手だと言われる。
実際に、団塊の世代、それより前の世代は、休日は家でゴロゴロという亭主も本当に多かった。休みの日でなくても、仕事から帰ってきたら、晩酌しながらボーッとするという光景は当たり前のものだった。
そして、ゴロゴロしている時、ボーッとしている時は、見てもいないのに大抵テレビがついている。
見てもいないのについているテレビから影響を受けるか?
この影響はかなり大きいと推測する。
意識してようがしてなかろうが、習慣となったものの影響があるから、英語のスピードラーニングは一定の効果があるし、弱いサブリミナル効果も無視できない。
 

家電製品の質が高い

 
今でこそ海外の家電メーカーに追い越された日本企業だが、バブル、それ以前までの日本の家電メーカーは、まさに世界トップクラスで、家電メーカーは「日本一=世界一」と言われていた。
それを支えたのはやはり質の高さ。
暇な時に、時間を潰すのに十分なツールとしてのクオリティーをテレビは持っていた。
 

高度経済成長の影響

 
この理由が一番大きい。
上記2つは、テレビのみに関して言えることだが、高度経済成長の影響はマスメディア全体に言える。
高度経済成長の頃は、読んで字の如く、経済が日本を支えていた。
この時代には、必然的に政治に対する関心が弱まる。経済的不満が少なければ、政治への興味も薄れるのだ。
政治と権力は切っても切れない関係だ。
そして権力監視は、マスメディアの重大な責務の一つだが、権力を監視する必要性が薄れた時代においては、それに伴って、ジャーナリズム面でのマスメディアの必要性も薄まる。
つまり、現代で言うところの「メディアリテラシー」を身につけるべき年代の頃に、その必要性が無い、または低かったという理由。
 

インターネットは、だから必要

 
現代は、マスメディアに匹敵するメディアとしてインターネットがある。
インターネットは、それまでのメディアと違い、双方向性メディアだ。
そして、発信側の制限も限りなく低い。つまり、正しい情報もそうでない情報も溢れている。
こうなると、大衆はどう考えるか。
すべての情報をまずは疑ってかかるようになるのだ。
インターネット普及後に生まれた世代は、そもそも情報を疑ってかかるのが当たり前になっているので、その対象がマスメディアであっても同じ様に疑う。
つまり大して信用していない。
(年代別のマスメディア信頼度をぜひ知りたい)
 
結果、マスメディアが報道した内容が著しく偏っていたり、限りなく嘘に近いものだったりすると、おなじみの「炎上」になる。
ちゃんと「監視」されているのだ。
手放しに炎上を良いものとは思えないが、マスメディアの方も、情報の公平性や真贋を今一度しっかり考える良いきっかけになっているのではないだろうか。
 
マスメディアのトップによる情報操作をしようと思っても、大衆という審査が待っていて簡単にはいかない時代に変わりつつある。
 
それは間違いなく良い変化だ。