今日も少し短めに。
年末年始が楽しいのは子供のうち。
こういったことを時々耳にするが、はたしてそうだろうか。
自分にとっては、やはり節目だし、これがあるから帰省してくれる友人もいるし、子供の楽しいというのとは少し違うのかもしれないが、まあそれなりに楽しんでいる。
大人になって年末年始が楽しくなくなったという人の中に、主婦層がどのくらいいるのかは定かではないが、主婦層からよく聞く印象だ。
その理由は、家の大掃除、おせち料理など、家のことを女の人がするからというもので、現代おいてはその限りではないのかもしれない。
良くも悪くも年末年始でもかなりの店が営業しているし、そうすると年末の買い込みなども不要なので、年末の休みに入った男が家の手伝いもできる。
さて、年始に行われるものの一つが、お年玉の儀式。
あれは全く意味がわからない儀式だ。
いくつまでもらうべきものなのか、つまりいくつまであげるべきなのかも漠然としているし、金額も、どのくらい親しい人にあげるかも微妙で、なにか釈然としない。
この風習は、風習として固まり過ぎていて、お年玉をあげない方が変、といった雰囲気もある。
あげるのとあげないのも自由であってほしい。
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お年玉をもらったら、貯金させるという親も多い。
かくいう自分も親からそう言われて貯金した。
しかし、子供の頃にもらうお年玉としての金額は、正直大人になってから考えると、大した金額ではない。
だとすれば、実はもらってすぐに使う方が、もらったことによる感謝の気持ちもよりストレートに感じることができるのではないだろうか。
普段ならば買わないおもちゃでも良いし、少し贅沢目のお菓子でも良い。
子供でもその特別感は感じるだろうが、貯金の大切さを学ぶには、少々早すぎる。
それに、そもそも貯金は先に使うことが前提であって、通帳のゼロが増えることによる中身のない満足感のためにするためではない。
理由もなく貯金をさせるのは、いくら相手が子供でも理屈が通らなさすぎる。