年末のアルバイト、学生の頃を思い出します。
働き方について社会が疑問視するような時代ではなかったので、ここにある押し付けばかりでした。
私は当時からあまのじゃくで、「年末年始の休みが取れないという話は聞いてない」と堂々と反抗してましたね。
今はこういうことが記事になる時代で、労働者の権利も改めて考えられるようになったのは良いことです。
しかし現場の雇用側の本音は、「そんなこと言ってたら仕事がまわらないよ」でしょうね。
大手は、以前のブログにも書いたように、働いてくれる時給まで引き上げるしかありません。
それこそが対等を実現します。
大手でなかったら、そんなお金はかけられませんよね。
古臭い言い方ですが、そういう場合は日頃からの信頼しかありません。
情に訴える、と言ってしまったら身も蓋もないのですが、それなりの関係を築いていれば、うまくいくことだってあります。
実際私の知り合いが働くバイト先は、オーナー店長の人望が厚く、年末年始の忙しいとき、こぞってバイトが働いてくれるそうです。店長のためなら、ということですね。
こういう関係って、計算や功利主義的な考えでは難しい。
また、これに少しでも強要が入ったら、全く逆作用になります。
つまり、「家族でもないのに、なんで助けてあげないといけないの?」という反論をくらうということです。
おそらくどんな時代でも、人間力は大切です。
合理性を飛び越えたところにある人間性への魅力は、社会がいくら変遷しても不変でしょう。
しかし、人間力もない人間が、非合理なことをすると反発をくらう現代は、そういう人間は淘汰されるという意味では良いのかもしれませんね。
あなたのバイト先の責任者、その人のために働くことをどう捉えていますか?