労働は、多くの人にとって人生の重要な部分を占めている。
働き方は、その人の人生を大きく左右する。
社会としては、その働き方をどうみなしていくか(どう舵取りしていくか)を注視する必要がある。それは、国家としてのあらゆる力に直結するからだ。
働き方に関するニュースや記事は昔から多くあるが、ここ最近はより増えた印象がある。
それは、電通社員自殺問題もきっかけになっただろうが、テクノロジー、つまりインターネットの普及や人工知能の開発等、様々な要因が絡んでいる。
トレンド、と言っては変だが、やはり過労を避け、家族との時間や趣味の時間を作っていこうという意見が多い。
冒頭記事は、残業や無駄な人間関係を減らすことの重要性を訴えつつ、しかしながらその空いた時間を有効活用できない人が多くいる、と警鐘を鳴らしている。
なぜこういうことになるのかを冷静に考えてみたい。
サラリーマンになって長い時間(人によって感じ方は違う)が過ぎ、その空気にどっぷりと浸かってしまった状態で、突然時間ができると、その時間の使い方に困ってしまうのは当然だ。
趣味に時間を使おうという風潮があるのはわかるが、それまで残業や休日出勤を多くこなし、さらにそれが模範的なサラリーマンだという空気だった中で、趣味を作ることなんてできなかった、という人も多いだろう。
そして、どんな趣味でも始める時にはそれなりのエネルギーを使うし、場合によっては「慣れ」も考慮すると、残業よりもエネルギーを使うことすらある。
この記事は、こういった状況になってしまっている人に有効な記事だと感じる。
一方、これから社会人になる人にとっては、読み方を間違えないようにしてもらいたい。
働くことは嫌なこと、休むことは楽しいこと、といった単純な2項対立軸には違和感を覚える。
何にストレスを感じ、何に生きがいを感じるかは、限りなく個人的な感情だ。
「本人の意志」で、休みなく働いて(自営業などの多くはそうだ)、そのために仕事以外のことに時間をあまり割かない、という生活。
会社からある意味「強制的に」休みを与えられ、仕事以外のことに時間を使わなくてはいけなくなる(つまり仕事をしてはいけなくなる)生活。
どちらの方が幸福だろうか。
なぜかサラリーマンのような、企業で働いている人にとっては、残業や休日出勤というのが「悪」という見方がされてしまう風潮がある。
しかし、例えばスポーツ選手がチームの練習が終わって自宅で自主トレをすることや、ミュージシャンのアンコールは、行為だけを見ると時間外労働と何も変わらない。
違いは、自主的なのかどうか、だ。
(アンコールに関しては、T.Mレボリューションが「アンコールをするのは義務ではない」と言って物議を醸したが、その通りだ)
電通社員自殺問題で、電通の労働環境の酷さを徹底的に取材し、それを記事にする記者の中には、深夜まで(つまり残業して)その記事を書き続けている人もいるだろう。
その行為が、自主的でないものとしたら、その記事に書いてある内容がブーメランとなって自分に帰ってくる。
しかし、眠い目をこすってでもその記事を書き上げ、世に訴え、ということに使命感を覚えてのことであれば、誰にも否定できようか。
◆
働く、といっても、その時間、内容といった行為だけを見ても、何も改善されない。
なぜ働いているのか、を自分で考えるが求められている時代だ。