余談から入って申し訳ないのですが、時短ハラスメントのことをジタハラって略す意味あるんですかね?
セクハラ、パワハラくらいまではわかりますが、マタハラやヌーハラなどまだ認知度がイマイチの用語は、あえてその略語をつかう必要もなく、こういう記事を読むときには雑情報です。
ジタハラなんてきいたことありませんでしたが、見出しにダブルクォーテーションがついている時点で認知度があまりない証拠じゃないんですか?
さて本題です。
働き方改革は政府に大いにやってもらいたい。過労死なんていう用語が当たり前のように辞書に載っているのは本当におかしい。
働くというのは、もとをたどれば一人でも多くの人が共存できるような社会を形成するための行為です。それによって人が亡くなるなんて本末転倒も甚だしい。
ですが、その改革内容の一つで今回も取り上げられている「残業」については、いつも論点がすこしずれている、と感じます。
働くこと=嫌なこと、辛いこと、苦しいこと、といったネガティブなことという前提が成り立っているのならば、長く働けば働くほど心を病み、過労死や自殺という最悪の結果につながる可能性はあります。
しかし、私は働くのがネガティブなことという前提がいささか乱暴すぎるという気がします。
苦労を美徳とする風潮はいまだに根強く残っていますが、これを裏返すと楽しむことは楽(ラク)していることになっちゃいますね、字も同じですし。
そうすると、楽しんで仕事をすることは楽(ラク)して仕事をしている、という論理になります。
そんなの誰が決めたんですかね?少なくとも私は仕事が楽しい。でも決して楽(ラク)ではありません。大変なこともあります。
ただ、基本的に楽しいし、楽しめるように工夫しています。
労働基準法かなにかで決められた労働時間の上限を超えても、心的には至って健全です。
つまり、残業が問題なのではなく、その中身、もっと言えばその強要が問題です。
第一、自営業者やフリーランスはそんなこと言ってられないし、自分で選んだ道だから、という覚悟くらいできてます。法律で上限を決められると逆に迷惑です。
とはいえ、、、
会社勤めの経験もあるので、そう理想通りにはいかない、ということはわかっているつもりです。だから、柔軟性をもたせつつ労働時間に上限を設けることは必要だと思います。
ただ、残業時間減らせば働き方改革が前進する、という考えの先には、この記事で指摘しているとおり、結局業務量は同じで労働時間だけが削られ、ストレスはそのままかむしろ増える、といった事が起こってしまうのではないか、ということです。
残業時間を減らすのは、それ自体が目的ではなく、それによって仕事によるストレスを減らすという目的達成の、一つの手段でしかない、ということはしっかりと考えておく必要があると思います。