日本は第2次世界大戦の敗戦国で、その事実は後にとてつもなく大きな影響を及ぼしたので、天皇、愛国心、右翼などと言った言葉のイメージが極端に独り歩きしている印象があると感じます。
特に愛国心。自分の国を好きなことは、そうでないといけないわけでないものの、ごくごく自然な感情だと思います。
自分の国を好きな感情が愛国心ならば、そこにそれ以上も以下もなく、この国っていいなぁ、ということだけです。
愛国の気持ちを持て、とか、逆に愛国心があの戦争を悲惨なものにした、とかいうのはあまりに極端ですよね。
例えばオリンピック。
日本人ならば、大抵日本の選手を応援しませんか。
たとえそれが面識がない選手でも、いや面識どころか全く知らない選手でも、胸に日の丸をつけて競技している選手を応援するのって、結構普通だと思います。
くどいようですが、これだって一つの愛国心です。
だから、
「日本人だから日本の選手を応援しろ、他国の応援をするな」
「日本人だから日本を応援するっていうのはおかしい」
というどちらも極端で、誰が誰を応援しても構わないけれども、一般的には自国の選手を応援する人が数的に多い、というだけですね。
さて冒頭の記事でも色々と考察がなされています。
日本のことを絶賛する日本の冊子。
絶賛すると愛国心→戦争という、実は全くロジカルでない連想をする人もいるでしょう。
親バカという言葉がありますが、日本人が日本のことを褒め称えるのは親バカと近いと思います。
つまり、間違っているかもしれないけれど、悪くはないし、どこか微笑ましい。
一方、この冊子をつくる方の視点で考えてみると、こういった冊子をつくり世間に広めることによって、日本を好きになって欲しい、という気持ちもあるのでしょう。
しかし、意地悪な言い方をすれば、こんな冊子を作らないと自国のことも好きになれないという社会であるのがこの国の現状ならば、その時点で結構マズイのではないでしょうか。
上記した親バカに沿った例を出せば、子は親の後ろ姿をみて育つと言います。
つまり、直接的な説教よりも、普段のなにげない姿から学ぶことのほうが多いし身になる、ということですね。
国家もそうで、こういった冊子を見せられるよりも、普段の生活のささいなことから自国のことを愛する気持ちが醸成される、という方が多いし、身になるのではないでしょうか。
私は以前海外に住んでいました。
1年強という期間は決して長いものではありませんが、それでも海外に住んだからこそ見える日本の良さ(勿論悪さもありますが)は、日常の中にいっぱいあります。
何を良さと感じるのかは人それぞれですが、例えば電車が時間通りに来たり、宅配物が注文通りだったり、水道水が飲めたり。
こういうのって、わざわざ口にだして言うほどでもない日常ですよね。
語るに落ちる、とは少し違うのかもしれませんが、自画自賛をカタチにしてしまうと、その効果は良くなるよりも寧ろ悪くなる方が多いのではないかな、と思いますが、どうなんでしょうか。
私のスタンスとしては、この国を好きだけれども、表立って口にするものでもない、という感じです。
でも、こうやってブログで書くことは、表立って口にすることに近い行為になるのかな・・・