興味深い記事です。
と同時に社会全体で考えていかなければならない問題でもあります。
特に日本人が考えなくてはならない思える理由は、過労死です。
今は中国を始め様々な国で過労死が問題視されていますが、もともと過労死という用語さえ世界にない頃には、「karoshi」とそのまま表記するしかありませんでした。
そのくらい海外に比べて日本は過労死者数が多いということです。
実働時間だけでみると、日本よりも欧米の方が多い、という統計もあるようで、労働時間、労働日数だけで過労死の原因にすることは浅はかだと思いつつ、やはり無関係とも言えないでしょう。
記事中にもありますが、テクノロジーの進化と生産性は密接に関係あります。
コンピュータの普及がまだまだだった頃は、全て手書きで、今とは効率が全く違います。
ネットもない時代は、データを送るという概念がないので、本当に大変でした。
私はその端境期に社会人になったので、いかに便利になったかを強く意識することができます。
しかし、労働時間が減ったかと言えばそんなことはありません。
効率的に仕事すれば、必ず労働時間は減るはずですが、不思議ですね。
しかしこれも経験上、なんとなくわかる気がするのです。
以前いた職場で、大量の書類をコピーをする必要がありました。
書類は裏表で、裏表コピー対応の複合機が職場にはあったので、それを使っていました。
しかし、その量がものすごいので、トナーが減るのはもちろん、裏表コピーの際に時々起こるエラーも気にかけなければいけません。
当然、1ページでもずれると、全てやりなおしです。
これは非効率だと思い上司に、専門業者に出しましょう、と言いましたが、認められませんでした。
「お金を払って楽をしよう、という考えではいけない」
これが認められない理由です。
正社員だったので、時給ではありませんが、給料を時給換算することはできます。
試しにこのコピーにかかった時間からコスト(人件費、紙代、トナー代、電気代など)を概算したところ、専門業者に出したときの金額とほとんど同じでした。
大量のコピーをするという業務をその専門業者に任せ、空いた時間で別の業務をこなし、生産性を上げる、という考えに至らないのはなぜでしょうか。
または、その分早く帰宅し、家族と恋人と友人と有意義な時間を過ごすことができる、という考えには至らないのでしょうか。
答えは簡単です。楽することが悪いこと、休むことが悪いこと、という考えが根付いているからです。
いくらテクノロジーが進化し、仕事がより生産的になったところで、それはハードの話です。そのテクノロジーを使う人、ソフト側に、上記したような考えしかなければ、おそらく変わらないでしょう。
変わらないことによって、だれが得をするのでしょうか。
それは、これまでのやりかたを継続したほうがうまくいく、という根拠のないエゴで自身を自己満足させる効果以外は何も産みません。
どんどん楽をしましょう。
どんどん休みましょう。