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日本の接客サービスやおもてなしは、海外からの旅行者を驚かせるらしい。
確かに、海外に行くと、例えば泊まるところならば、安ければ安いほど、そのサービスの質も落ちる。
しかし、日本はカプセルホテルの受付でも、その値段分接客やサービスが悪いと感じたことは、そうそうない。
接客やサービスが悪いホテルは、値段に関係なく悪いし、全体の平均としては、海外のそれより随分高い。
こういった接客サービスや、冒頭記事に出てくる宅配の再配達サービス、24時間対応の電話サポートセンターなどの、きめ細かいサービスは、日本の誇り、と言ってもよいのかもしれない。
サービスとサービス業務はセット
しかし、こういったサービスは、当然ながら誰かの労働力に支えられている。
海外ならばお金を払わないと受けられないサービスが無料で受けられるということは、その分の「サービス業務」を誰かが担っていることにほかならない。
電通社員自殺問題で、過剰労働が改めて問題視された流れなのか、この記事のように、24時間営業をやめる店も出てきた。
24時間営業している店が沢山あることは、それを使う人にとっては便利なのかもしれないが、働く側にたつと、同じ分だけの労力がかかってくる。
実はこれらは、身の回りを便利さ、安さの裏には、同じ構造が必ずある。
とても「コスパ」が高い買い物をしたら、その分のしわ寄せは、そこで働いている人の人件費削減に表れやすい。
(人件費は、原価がないから削りやすい)
公共施設が無料のサービスをしていても、その運営費は自分たちが払った税金なので、支払うタイミングがずれているだけで、実は無料ではない。
牛丼が、安い店だと300円くらいで、しかもその店は24時間営業で、ということになると、いくら考えても全うな「流れ」があるとは思えない。
(実際に、こんな店が少し前に問題になった)
「安い、安い」と牛丼を食べながら、ある人の「苦しい、苦しい」に気づけないだけだ。
素晴らしいサービスを提供するために猛進する時代は、もうそろそろ終えてもよい頃だ。
不便を受け入れる余裕
自分の知り合いは、ネット系の電話サポートセンターで働いており、今年の年末年始も休みがないらしい。
確かに、年末年始「ですら」サポートセンターが対応してくれたら嬉しいかもしれないが、もし休みでも「不便だ」と思うのと当時に「仕方ないか、年末年始だしね」と思う余裕をもつくらいでありたい。
ある店に定休日ができたら、「あの店で働く人たちにも、ちゃんと休みの日ができてよかった」と思って捉えれば、不便さによるネガティブな気持ちも幾分軽減される。
1日8時間労働の意味
本当かどうか知らないが、労働時間が1日8時間なのは、「嫌なこと」を続けられる時間の上限が8時間だから、だそうだ。
本来仕事が「嫌なこと」という定義も大きな問題だが、それは別記事に譲るとして、現状ストレスを抱えて仕事をしている人は多くいるだろう。
一日8時間労働というのは、そのストレスを抱えた状態が前提での上限設定だ。
つまり、残業をすると、ひずみが生まれ、その分のしわ寄せは、「何か」に表れる。
それが鬱であり、過労死だ。
個人がそれを解消するもっともシンプルな方法は、その組織から抜けること。
そして、社会にできることは、労働時間の徹底的な管理。
(あくまで、仕事が嫌なこと、という前提ありき)
後者の場合は、あらゆるサービスが低下するように見えるので、便利さを追求することしか見えていない空気が社会にあると、その改革は進まない。
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国家が未来永劫成長することはない。
日本もそろそろ成長期を終え、成熟期だ。
個人では色々だが、社会としては、大きな器をもった国家を目指す時期に差し掛かっている。