経済大国、日本
日本は間違いなく経済大国だ。
不況だし、借金も多いし、未来に対する不安もたくさんあるが、週末のデパートの賑わいをみて、経済大国であることを実感するのも事実。
昔に比べたら売上は落ちているのかもしれないが、素人目からすると、もっと安く買えるものに、あえてお金をかけている人があれだけいるということは、つまりは経済大国なのだろう、と思ってしまう。
また、それに応じてサービス業も充実している。
生活必需品を買おうとして、どこの店に行っても売り切れていて、生活に支障がでるという経験をしたことがある人は少ないはずだ。
戦後や高度経済成長前、オイルショックの時のような不安感はない。
(プロのジャーナリストや学者は不安を口にしているが、実態としての話だ)
つまり、お金さえ出せば、物は手に入れられる国になっている。
当たり前のことは、実は当たり前ではない
世界中がそうというわけではない。
たとえば自分が昔住んでいた国では、ATMでお金をおろそうと思っても、残高不足で下ろせないことが多々あった。
残高不足なら仕方がない、と思うかもしれないが、不足しているのは自分の口座にある残高ではなく、そのATMに入っている残高なのだ。
日本では、そんな経験はしたことないし、聞いたこともない。
カネもモノも豊富な国、日本。
しかし、ふと振り返ってみることも大切だと思う。
身の回りのモノに目を向けてみて
今、身の回りにあるものに目を向けてみる。
ブログを書いているので、コンピュータがある。
デスクの上にはコーヒーがあり、携帯が2台。
雑誌が2冊並んでいる。
これらの中で、自分で作ることができるものはあるだろうか。
コンピュータは当たり前だが作れない。
コーヒー豆の栽培方法、焙煎方法もわからない。
携帯電話の具体的な仕組みもわからない。もちろん作れない。
雑誌はなんとか作ることができるかもしれないが、巷に売ってある完成度(中身も外見も)のものを作れる気はしない。
今ここにはないが、100円ショップで売ってあるモノもたくさん所有している。
その中で、自分で作ることができるもの(それはつまり、その仕組や中身を熟知しているもの)はどれだけあるだろうか。
おそらくほとんどない。
どこにでも売ってあるもので、なおかつ安いものは、簡単にできあがっていると思っているし、実際に大量生産するシステムがある中では、簡単にできあがるのだろう。
しかし、それを簡単にできるものだと思っているのは、身の回りにあふれているから、つまり存在することに慣れているからであって、制作過程を熟知している人は、そうそういないのではないだろうか。
リモコンがついていないテレビはほとんどないが、リモコンでテレビが操作できる仕組みを言える人はどれだけいるだろう。
電子レンジは、日々使っているのに、火を使わず温めることができる理由はご存知だろうか。
便利になることは良いことだ。しかし、、、
世の中は便利になっている。
今後ますます便利なる。
自分は、そんな技術革新が大好きで、間違いなくアーリーアダプターに属する。
しかし、自分自身はそれを提供されるばかりで、創りだしていないことも事実。
自分ばかりではないだろう。
いつかそのアンバランス感に歪が来るのではないだろうか。
対抗策は、なにはともあれ、自分自身も何かを提供する側になることを心がけることではないだろうか。