東日本大震災は、自分が生まれたあとに起こった天災の中では、最も大きなものだ。
津波の映像をリアルタイムで見た時は、映画か何かかと思ったくらい衝撃だった。
原発の根本的欠陥を世にしらしめることになり、今そのあり方が問われている。
さて、自分は音楽が仕事だ。
震災、音楽と聞いて、次に連想される言葉はなんだろうか?
そう、チャリティーライブである。
街はチャリティーライブだらけ
震災からしばらくの間は、日本全国でボランティア活動やチャリティーライブが行われた。
その収益の全部、または一部を義援金として被災地に送る、といった活動は素晴らしいと思う。
しかし、だ。
ボランティアやチャリティーライブは、あくまで自主的に行われるべきであり、強制は絶対にあってはならない。
つまり、ボランティアやチャリティーライブは、人にお願いするものではなく、自分から行うものであるべきだ。
チャリティーライブでもお金を払うべき人?
震災から1週間くらい経った時に、あるイベンターから、チャリティーライブのお誘いを受けた。
5~6組みのバンドを集め、集客し、その収益の一部を義援金にするというものだった。
ここまでは良い。
しかし、残った収益は何に使ったかというと、ライブがあった場所代として、それから、その日の音響(PA)をやった人のギャラになったのだ。
演奏する自分たちは一円のギャラももらわずに、PAと箱にはお金を出す、というのはどういった発想なのだろうか。
PAは機材運搬費があるという。
しかし、当然ながら演者にも交通費や楽器運搬費がかかっている。
箱は、飲食代原価だけはもらわないとできない、ということらしい。
しかし、音楽だって無料でできるわけではない。
ギターなら弦、ドラムならスティックなど消耗品もあるし、普段の練習やリハーサルでもちゃんとお金を払ってやっている。
この分は、いわゆる原価と同じだろう。
音楽は形がない。
だから、時として無料で依頼することへの抵抗感が少なくなるようだ。
プロで演奏している人に、お金を払わずになんか演奏して、というのは、飲食店で、無料で何か出して、ということと全く同じ事だ。
チャリティーライブのあるべきかたち
もしチャリティーライブをギャラ無しでするのならば、そこに関わる人全員にお金が発生してはいけないだろう。
いや、演者にギャラがないことを説明して出演依頼したように、箱やPAにも、その旨伝えて依頼するべきなのだ。
そういった人が見つかるまでは、やらなければ良い。
また、あの時期は、ギャラは全て義援金に回す、という空気が強くあった。
逆に、ギャラを懐に入れると、白い目で見られるような風潮が間違いなくあった。
しかし、考えてみてほしい。
音楽のプロがギャラをもらうのは、サラリーマンが給料をもらうことと全く同じことだ。
あの時期に、給料を全部義援金に回した人なんていないだろう。
人助けは、自分のアタマで考える
被災者は本当に大変だろう。
想像も絶する苦労が今でもあるに違いない。
それはやはり助け合わなければならない。
その助けあいの方法は、自分たちでしっかり考えた結果のものならば、どういったものでもよいと思う。
それがお金の人もあるだろうし、物資のこともある。
声に出して応援するだけでも立派な手助けだ。
決してボランティアやチャリティーライブはだけではないはずだ。