またまた、頑張って「頑張る」批判をしてみよう。
この記事中に書いてある、労働生産性が上がらない幾つもの理由の一つ、結果より努力を賞賛する考え方、にスポットをあててみよう。
変わらない国、変われない国
まず、こちらの本を紹介する。
- 作者: 戸部良一,寺本義也,鎌田伸一,杉之尾孝生,村井友秀,野中郁次郎
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1991/08
- メディア: 文庫
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この本の発売日は、1991年だ。
この本では、70年前の大戦で敗戦した理由を、組織論の側面から分析した本だ。
この中で指摘されていることの一つに、結果よりもやる気や努力を優先した、という内容がある。
つまり、70年前の戦時中、1991年、そして現在に至っても、本質はなにも変わっていないということだ。
国家には学習してもらわないと困る。
いい加減に。
変わるために出来ることは、余計なことをしないこと
では、個人レベルで改革を起こすためにはどうするべきだろうか。
それは、実は至って簡単で、余計なことをしない、ということだろう。
努力と結果、どちらが大切かは、一般論で決められるものではない。
各々が感じることだ。
そして、それは排他的な選択ではないので、もちろんどちらも大切だろう。
要は、どちらを重要視するか、という比較になるが、それは、各々が勝手に決めれば良い。
あるスポーツをやっていて、一生懸命努力した結果が思わしくなかった時に、ある人は、その結果を求めて努力したから、やった甲斐があったと思うだろうし、それプラス結果が思わしくなかったこと受け入れ、人の意見を聞き、工夫をし、再挑戦する人もいるだろう。
こういった考えに対して、立場が上(年上、上司、親など)の人間が、まるでこちらが正しい、みたいなことを言い始めるから、ことがややこしくなる。
社会にはたくさんの人がいて、その数だけ考え方がある。
人1人がもっている考え方なんて、数十億分の一でしかない。
そうわかれば、できるだけたくさんの人に話を聞き、たくさんの情報を本、メディア、ネットからインプットし、咀嚼してから、自分のオリジナルの意見を持つ。
そのことを学習と呼ぶのではないだろうか。
努力と結果、どちらが大切か、なんていう質問は、それに直面したら勝手に考えるので、一般論として語るのは、どれだけの意味があるのだろう、と思ってしまう。