今週のお題「2016上半期」
これにのっかってみる。
インターネットが充分に普及した現代では、ユーキャンの流行語大賞よりもGoogleの検索キーワードランキングの方が、「確かに」と唸る言葉が多い。
※ちなみに、昨年の流行語大賞は、「爆買い」「トリプルスリー」。
ということで、丁寧にもGoogleが上半期検索ランキングを発表しているので見てみよう。
Google Japan Blog: 2016 年 上半期検索ランキング
本文から抜粋すると、
となっている。
ニュースを読む意味は、情報を知りたい欲求を単純に満たすためだけではないはずだ。
それは、今後の自分たちの行動にどう反映させるか、という基準でニュースを見るべきだ。
一つ一つのニュースを見てみよう。
ベッキー、SMAP報道
ベッキー、SMAPについては、エンタメ・芸能ニュースで、正直あまり詳しくないし興味もない。
一言申せば、当事者でもないのに迷惑を受けた風なコメントをする人って、なんなんだ?というこうとくらいだろうか。
熊本地震
このニュースで一番考えたのは、報道のありかた。
ネット掲示板やニュースに対するコメントをみると、マスコミの思慮に欠ける行いが批判を浴びていた。
確かに、ガソリンスタンドの割り込みや、被災者に対しての執拗なインタビューは、特権階級意識の表れでもあり、見直されるべきだろう。
しかしながら、被災状況を報道するという事自体はとても重要なことであるのも事実だ。
スマホ全盛のこの時代なので、TwitterやFacebookなどのSNSを活用して個人が情報を発信することができるようになったとは言え、上空から被災地全体の撮影をすることによって、被害状況を把握、報道するといったことは、やはり資金力がある報道機関でないと不可能だ。
マスコミの行動を批判するのはもっともだが、それによってマスコミの存在自体が軽視されるのは避けたい。
清原氏の覚醒剤所持による逮捕
元球界の大スターが覚醒剤に手を出していたということで、話題性抜群のニュースだ。
清原氏に対して、マスコミ、ネット上でも連日のようにバッシングの声が上がった。
覚醒剤所持は、間違いなく「罪」であり「悪」であることは間違いないので、清原氏がバッシングされるのは当然だ。
とはいえ、そのバッシングが、一般市民のストレス発散になってしまっているのではないか、と思えるほど、批判によって清原氏を叩き潰そうとするコメントも散見された。
また、そのように煽るマスコミの報道の仕方も見られた。
覚醒剤に関しては「被害者なき犯罪」と言われることもあるように、今回清原氏が覚醒剤を所持していたことによって直接被害を受けた人は殆どいない。
だとすれば、今回の清原氏に対する批判は、覚醒剤を所持すると批判の対象になる、ということを改めて認識することが目的でないといけない。
そして同時に、なぜ清原氏があれだけの地位・名誉・名声を手に入れているのに覚醒剤に手を出してしまったのか、という原因を突き止めることのほうがはるかに重要だ。
小林麻央氏のニュース
これも報道姿勢が問われているところだ。
夫である市川海老蔵氏が、生死に関わることなので静観してほしい、と訴えてもまとわりつく報道関係者は後を絶たない。
こういった行動を止めるためには、そういった記事が載った雑誌等を買わないことだ。
売れるネタをそろえて販売すること自体は、自然な市場原理なので、致し方ない。
つまり、売れなければそのネタもいらない、という方向にもっていけば、そちらの市場原理が働く。
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ニュースをみて、考え、行動に活かす。
情報過多のこの時代、これは避けられない。
無知は罪だ。