報道の本来の目的は何か、ということを改めて考える時に来ていると感じます。
新聞社を含めた「マスコミ」と括られる業界の影響力は、ネット普及後でも決して小さくありません。
マスコミ関連企業の社員平均収入が一般サラリーマンのそれよりも高いのは、その影響力を表している、とも言えます。
話が右往左往しますが、全国にニュースを届けるのがマスコミだけだった時代と違い、今はネットがあります。
ネットはマスコミとは大きく違い、双方向通信です。マスコミが様々な法的制約の中で報道しているのに対し、ネットはかなり自由度が高い。当然です、基本的には、いつでも、どこでも、誰でも、ほぼ無料で世界発信出来るのですから。
だからネットの規制はとても難しい。というより、ネットの良さはその自由度にあるので、規制に反対する人が多い。中国のように情報統制すれば一定の秩序は守られるのかもしれませんが、ネットの自由と社会の秩序を天秤にかけて後者を選択する人は、皮膚感覚では少ないと感じます。
ネットでは被害者の写真だけでなく、マスコミが報道していない加害者の顔写真も流出します。繰り返しますが、規制が追いつかないわけです。
ネットの秩序が崩壊するのは必然です。
私は、まだまだ影響力の大きいマスコミだからこそ、ここで立ち止まって考えてもらいたい。被害者の気持ちになることは不可能ですが、想像することはできます。今件は被害者遺族から要請まで来ているのですから、想像するまでもありません。
こういう場合は、たとえ法に触れなくても被害者の顔写真は出さない、という信念を貫くといったスタンスは、多くの国民に受け入れられるのではないでしょうか。
それは秩序を保つのが困難なネットに対する素晴らしいスタンスだと思います。
被害者遺族の心情は理解できるが、“1枚の顔写真は、生身の人間がこの凄惨(せいさん)な事件の被害に遭った、という現実を何より訴え掛けて”くるため
国民の為にある新聞社のこの意見に賛同する国民はどれだけいるのでしょうか。
低迷が続く新聞社が少しでも話題になるように、というロジックだったと思う国民の方が多そうだと思うのは私だけですか?被害者遺族不在の判断としか思えません。
確かに写真や映像があるのと無いのでは、訴えかけてくるものが違います。戦場カメラマンと呼ばれる人たちは、だからこそ命を張ってシャッターを押し続けるわけです。
もしマスコミが被害者の顔写真を上記理由で報道したいのならば、戦場カメラマンと同じくらい命がけで被害者遺族に懇願しに行く必要があります。
なぜ自分達が被害者の写真を載せたいのか、そこにはどんな思いがあるのか、それをわかってもらうまで説明し続けるべきです。
その覚悟がないのならば、そんな報道は絶対にするべきではありません。
そんなのは報道とは呼びません。