自分は東京都民ではないので、都政も豊洲移転問題も、直接的には関係がない。
それでもここまで連日のように全国で報道され続けるのは、東京が日本の首都であり、世界有数の大都市だからであろう。
中でも最近最も多い話題が、上記した豊洲移転問題。
都民でないとわからないこともあるだろうが、都民でないから立てる視点もあるので、自分の意見を述べてみる。
マスコミの印象操作が酷い
話題の中心は安全性。
これに関しては、報道は本当に酷い。
「環境基準の4割のヒ素が検出された」
この文章が、ニュースでどれだけ繰り返し流されたことか。
もちろん、これは嘘ではないからかまわないのだが、印象操作が卑怯だ。
上記文字と共に流れるナレーションでは、
とにかく危険だ、と印象づけたい模様。
マスコミは、話題性があって視聴率をとれるかどうかに最も興味があるから、という理由なのかどうかはわからないが、少なくとも安全と言われていたところから危険なものが出てきた、となれば確かに話題性はある。
しかし、だ。
事実だけを見ると、環境基準内、しかも4割ということはスレスレですらない、ということ。
伝え方を
「環境基準に余裕でクリアできる汚染物質しか検出されなかった」
とすれば、世論も大きく変わっただろう。
ゼロリスク思想
しかし、この程度の印象操作で危険だと考え方を一転させる都民の方も問題ではある。
これは、終戦後ながく続いた平和による、ゼロリスク思想醸成が関係しているのではないだろうか。
太平洋戦争で遂には原爆を落とされ、日本中が焼け野原になった結果敗戦、ということを経験した日本は、「絶対に」「なんとしても」「100%」戦争をしない、という思いが、その被害の分大きかった。
それが功を奏し、日本は70年以上一度も戦争をしない国として存在できた。
少しでも危なかったら、なにはともあれ回避。
戦争が起きる要素が1ミリでもあれば、絶対回避というのが、日本にとってはベストな選択だ、という考えを70年かけて醸成してきた。
しかし、焼け野原で国力がほぼゼロに等しかった頃の日本と比較すれば、今の日本は世界が認める先進国。経済では世界3位だ。
同じ思想では立ち行かなくなる、ということを示しているのが日中、日韓問題にあらわれ始めている。
話がそれたが、環境基準内であったとしても、猛毒であるヒ素が検出されたら、移転反対、というのはまさしくゼロリスク思想。
これは、玄関を出て歩道を歩いたら、車が突っ込んできて死亡する「可能性がある」から、家から一歩も出ない、と言っていることと同じ。
ゼロリスクではなく、いくつかある要素を天秤にかけたときに、どの選択肢が最もローリスクか、ということを考える事が大切だ。
当たり前だが、現在の築地市場だって、どれだけでも危険性を示す数値を弾き出すこともできるだろうし、一般家庭内であったって同じことだ。
ある場所が、絶対安全、絶対危険ということはまずない。
どこを選択しても、ある程度危険だし、ある程度安全だ。
それを冷静に比較することが最も重要だと考える。
ちなみに、豊洲問題はこれ以外にも、安全と示されたデータ自体の調査方法や、それが市民に開示される前に改ざんされているのでは、という信用問題が絡んでいることも事実。
しかし、これらは全く別の議論で、ごちゃまぜにした議論では、良い解決策にたどり着かない。