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昨日の記事。
◯◯年問題、と言えば、自分にとっては2000年問題を思い出す。
別名Y2K問題とも言う。
1999年までは、プログラム上、下二桁だけを使っていたため、2000年を迎えるとコンピュータの誤動作が起きる、と言われていた。
フタを開けてみれば、特に何も起こらずに終わって、取り越し苦労だった。
さて、今回の2033年問題の中身は、友引がなくなってしまう、というもの。
旧暦のルールを忠実に守ろうとすれば、2033年には日付確定ができない、ということが原因らしい。
自分は宗教や民間信仰にまったく興味がないので、これが「問題」というレベルのことなのか、と思ってしまう。
(宗教や信仰の存在否定をしているわけでない)
しかし、この記事で最終的に問題になっているのは、葬儀業界が確実に休みを取れる日がなくなる、ということらしい。
数日前にYAHOOが週休3日制導入を検討、というニュースが話題になった。
これを逆説的に捉えると、いまでも休みなく働く労働者が多い、ということだろう。
そんな中で確実に休みがとれなくなる、ということが「問題」となる事自体が、葬儀業界の特異性なのか、と感じる。
考えてみれば、葬儀業界の特異性は当たり前で、人は絶対に亡くなり続けるし、その割に予定は立てられない。
いつ人が亡くなって、その夜にお通夜、続いて葬式となるかがわからない中で、堂々と「この日には葬式は執り行えません」と言うためには、その理由として葬儀業界側の都合ではなく、世間に知れ渡った慣習を利用した方が、事はスムーズに進むだろう。
世間に知れ渡った慣習による理由がなくなるから、「問題」だということだ。
しかし、どんな業界にも休みがあるのは当たり前なので、別に慣習的な理由を用意しなくても、堂々と休めば良いのではないだろうか。
確かに、人が亡くなった時というのは特別な日で、それにまつわるお通夜や葬式も確かに特別な日なことは間違いない。
しかし、亡くなる日は変えられなくても、葬式の日は変えられる。
亡くなる日から2日後の葬式にこだわらない人も大勢いる。
それから、葬儀業界も民間なので、各々の会社で定休日を決めれば良い。
それを業界全体で揃えてしまうと、知れ渡った葬儀が出来ない理由がない限り、葬式の日にこだわる人々の同意を得ることは難しい。
しかし、休みの日をずらせば、例えばそこにどうしてもこだわる人がいたら、少しくらい遠くても、別の葬儀会社を使えばよいだけだ。
問題は、火葬場だろうか。
これは地域単位で決まっているようで(本当は別地域の火葬場をつかうことも可能)、この火葬場が定休日なので、別の火葬場で、というわけにはいかないようだ。
これは、出勤の人のローテーションしかないだろう。
考えてみれば、いつ起こるかわからないものに対応する仕事は葬儀業界だけだなく、警察も消防も同じだ。そして、警察官も消防士ももちろん休んでいる。
民間か公かという違いはあるが、現実的に民間の中でも、警察や消防と同じくらい、組織自体の休みが取ることができず、かつ予測できない業界もあるはずだ。
しかし、もっとも大切なのは、葬式をする方の意識改革かもしれない。
確かに、人が亡くなったときに、その最期を「正しく」執り行いたいという気持ちは大切だろうが、それに関わるのが「人」である以上、休みなしというわけにはいかない、ということに想像力を働かせることができるかどうか。
「客」的な態度を全面に出し、葬儀会社側の都合で休むな、というのは、人が亡くなったときにふさわしい振舞とは到底思えない。
人が亡くなったときに大切なのは、決められたルールに従った日にちによる「式」ではなく、「気持ち」だ、と思うのは自分だけだろうか。