今日は2月4日。
13年前の今日設立したのが、世界最大のSNS、Facebookだ。
国内の月間アクティブユーザー数は2500万人。
そのサービスを利用しているかどうかは別にしても、知らない人は殆どいない。
Facebookは、何が人を魅了するのか。
Facebookの悪口をFacebookで投稿する人がいるくらい、生活の一部になってしまっている人もいる。
なぜ人はFacebookを使うのだろう。
ウェブサイトのページビュー数をあげる為には、そのコンテンツを魅力的なものにし、レイアウトを考え、更新の頻度を高める。
つまり、ウェブサイト運営者の能力が試されるわけだ。
一方、Facebookは少し様相が違う。
Facebookは、「場」を提供しているにすぎない。
「場」を盛り上げるために、友達、承認という概念をウェブ上に取り入れる、といった工夫はなされている。
しかし、そこで目にするメインコンテンツは、どこにでもいる一般庶民が書いた投稿記事だ。
能力の高い個人や団体が、世の動向を詳細に分析し、傾向と対策を重ね、ウェブサイトで公開しても、一般庶民がなにげなく投稿した記事がタイムライン上に並んでいるだけのサイトにビュー数で敵わないのだ。
簡単にいえば、数名の天才よりも、たくさんの庶民の方が、魅力的なコンテンツを提供できるのだ。
◆
SNSが出現する前の世代の一部は、SNSを介したコミュニケーションが、人間関係を希薄にした、と批判する。
果たしてそうだろうか。
どんなサービスにも欠点はある。もしかしてSNSが普及することによって、人間関係が希薄になった人もいるのかもしれない。
しかし、SNSによって新たな人間関係を築けた人もいる。
それは、年齢、性別、地理的な条件をいとも簡単に消滅させ、それに代わって、投稿記事のおもしろさ、という超純粋な「中身」だけで判断し、友達承認を下ろされる世界だ。
SNS出現以前のコミュニケーションに比べて、現在のコミュニケーションが希薄になったのではない。
コミュニケーションツールが単純に増えたのだ。
直接出会うコミュニケーションとSNSによるコミュニケーションで、排他的な選択をする必要はない。
双方の「イイトコドリ」をすればよいだけの話だ。
個人ユーザーであれば、Facebookにお金を払う人はほとんどいない。
だから、投稿記事に金銭的な見返りを求める人も少ない。
これも純粋に「いいね!」がたくさんついたらいいな、という軽いノリが、情報の純度を高めている。
いわゆる、オトナの事情で、という影響を最小限に抑える事ができるのだ。
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なぜFacebookは人を魅了するのか。
それは、純粋なコミュニケーションを人が渇望しているから。
人はそもそも「さみしがりや」だから、ではないだろうか。
www.famo-seca.club
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