私の本職は音楽です。
職業としての音楽は幅広く、それこそ作曲家からCDショップの店員まで、職業としては音楽と言えます。
私がその中でどこに位置しているかの詳細は省きますが、大雑把にいえば「業界内」ということになりますかね。
根源的な意義での音楽には、お金は不要です。ビジネスとして音楽が成り立っているのは先進国くらいなもので、いまでも新興国をはじめとした国々や民族・部族内にある音楽は、もっと思想的、儀式的、宗教的な色彩が強いものばかりです。
雨乞いのダンスと共に奏でられる音楽なんかは良い例です。
だから、私の今の職業が音楽とはいっても、それは先進国だからこそ存在する仕事です。
それでも私は、自分の仕事に誇りを持っていますし、もう一度人生を歩み直すことができるとしても、同じ道を選びます。
古い言い方をすれば、そこにやりがいを感じているということです。
◆
どんな世界でもそうでしょうが、音楽は特に「才能」が及ぼす影響が絶大です。
才能に関しては、生まれた時はみんな同じ、あとは努力次第、といったことを言う人がいますが、それはおかしい。
生まれた時「から」みんな違うじゃないですか、なにもかも。
顔も性格も、なにもかもが違います。一卵性双生児ですら差異があります。
それなのに、音楽を含めた「能力」だけがみんな同じはずがない。
音楽に関しては気付いている人も多くいます。一番わかりやすいのは歌です。
カラオケにいくと、別にトレーニングしているわけでも、習っているわけでもないし、なんなら興味さえないのに、なぜか歌がえらく上手い人っていますよね。
逆に、かなり下手な人もいます。
練習しなくても、習っていなくても、一般レベルと比較してかなり上手なのは、才能であることを示しています。
◆
私もかつては、華やかなステージに立つことが音楽の成功としか思っておらず、ひたすらスキル向上と経験値をあげることに躍起になった時代がありました。
しかし、やればやるほど、とんでもない才能をもった人に出会います。まさに天才です。
凡人は天才に努力で追いつけるかもしれません。
しかし、天才が、才能があるうえ努力すると、これはもう追いつけません。
音楽業界のトップミュージシャンは、そんな人だらけです。完敗です。
しかし、私にも別の才能が備わっていたようですね。
それは、音楽を好きな能力と、続ける能力です。この2つは独立した能力ではなく、相乗効果をもたらしてくれた能力です。
思い返せば、学生時代から本格的に音楽活動を始め、当時は周りにもプロを目指して目をギラつかせていた人がわんさかいました。
それから10年以上の月日が流れ、今でも続けている人は1割以下です。もしかして5%未満かもしれません。
当然といえば当然かもしれません。
年齢を重ねれば、なにかとお金も必要で、仕事をしっかりしなくてはいけない。
同調圧力には負けない、といくら言っても、さすがにまわりの人間がみんな結婚、出産となっていけば焦らない人は少ない。
それに、結婚や出産は基本的に、たしかに良いものです。
仕事から帰ってきて疲れているにも関わらず音楽活動を続けられる人は、やはり少ない。体力的にも、精神的にも、です。
つまり、やめる理由は増えていき、続ける方法が減っていくのです。
それでも私は続けました。それは努力や根性とは違います。
アホみたいに好きだったからです。
間違っても、音楽的才能が高かったからではありません。謙遜ではなく、本当に才能がある人に何度も何度も出会うと、とても自分に才能があるとは言えません。
結果、今でも音楽の世界にい続けることができています。
それは周りにいる人のおかげだし、運も良かったかもしれない。
でも、もっとシンプルに好きだったから続けた、つまり音楽を好きでい続ける才能だけは持ち合わせていたようです。
好きでいること、続けることが全く苦にならないこと。
それを見つければ、おそらくその世界でなんとかやっていけます。
好きになることの才能、続けることの才能さえあれば、どうにかなります。
私はそれを強く強く感じています。