日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

音楽を志す人もぜひ読んでみてください〜仕事選びのアートとサイエンス~不確実な時代の天職探し/山口周

 
山口周さんの本は、ご本人が電通出身ということもあり、ビジネスやコンサルティングといった印象が強うそうに思いますが、実際には「仕事」をする人全般に適用できる内容満載です。
 
私は音楽分野で、一見ビジネスやコンサルティングとはかけ離れているように感じますが、深く頷ける箇所がいくつもありました。
 
その箇所をピックアップしてみます。
 

天職とは本来、 自己を内省的に振り返ることで見出すものではなく、人生のあるときに思いもかけぬ形で他者から与えられるもの ではないか

 

音楽というジャンルに絞って言えば、自分主導でやるLIVEや音源制作だけではなく、誰かのサポート、依頼をきっかけに見つかる自分のスタイルもあるのでは、と思います。

(というか、その方が多いかも・・・?)

 

「得意」のレベルが本当に社会に出て優位性を発揮できるだけのポテンシャルを持つものなのかどうかは、誰にも分からない

 

簡単に言えば、プロレベルなのかどうか、という判断が、音楽の場合は特に難しい。

なぜなら、ものさしが曖昧だからです。

 

スポーツならば、記録と統計を見ればある程度は判断がつきます。

しかし、「良い曲」という基準はよくわからない。

よくわからないけれど、レベル差は存在する、という不思議なものなんですよね。

 

羽生さんが指摘しているのはつまり「才能は長期的な努力にはかなわない」ということです

 

音楽分野でも、才能というワードは頻発します。

上記したスポーツとの比較をもう一度。

スポーツならば、身長や体格といった、自分ではどうしようもないこと(つまり、これは「才能」です)が成績に及ぼす影響が大きいのは自明です。

 

音楽には、そういった明確な違いはありません。

もちろん、音楽の能力にも生まれもった能力差というのは確実に存在します。

これを否定するのは現実逃避以外なにものでもありません。

 

しかし、音楽の才能がある人がチヤホヤされている間、淡々と努力を続けた人がいて、後に追い抜かれ、その後巻き返せなかった、という状況は嫌というほど見てきました。

 

だから、音楽分野で「才能がある」というのは、「それでやっていける」という意味では決してない、ということですね。

 

遠くを見てできないことにため息をつくのではなく、まず「いま」「ここ」でできることから始めてください

 

音楽をするのには、時間もお金もかかります。

でも、いわゆる「一流」と呼ばれる人は、時間もお金もなくても、人の心を掴みますよ。

一流の人たちが、音楽に時間とお金をかけているのには、それなりの合理的な理由がありますが、人を感動させる「必須条件」ではありません。

 

時間とお金がない、という不満を言っている人は、時間とお金があっても別の不満を言い続けることが多いものです。

 

ドームのステージに立ちたいなら、まず自宅で、生音で、両親や友人を音楽で感動させられるか、自問してみましょう。

 

 

音楽を志す人が、音楽分野の先輩の言うことばかり聞いていても、視野は広がりません。

音楽で成功する方法は、人によって、時代によって、運によって全然違うからです。

広い視野を持って情報に触れ、自分で考え、行動する。

そのためには、一見音楽とは関係なさそうなこういった本を読んでみるのもおすすめです。