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幼稚園に通わせる子を持つ親としては、まさに言葉が出ない事件です。
この園長は批判されるべきだし、現時点でも恐ろしいほどの社会的制裁を受けていると思います。
これは当然ですね。
理由は結局のところお金です。お金の犠牲になったのが子供達です。
日本死ねブログ以降は特に、幼保を統一してコストを下げ無償化、義務化という案も現実的に考えられていますが、その制度導入時には同時に、徹底した国の監査を設けないと、同様の事件は後を立たないでしょう。
さて、いつも当ブログでは伝えているとおり、こういった事件の直接関係者ではない多くの人が考えるべきは、この事件から何を学ぶか、です。
色々と着目するところはありますが、私としてはこの記事の後半部です。
「結構みんなしくしく泣いて。『守ってあげられなくてすみませんでした』と謝罪を始めて。『怖くてやめられなかったです』って。園長先生が怖くて」
これが縦社会のひずみです。
縦社会は全て悪いとは言いません。しかし、時にはそのひずみでこんなに大変な事件が起きます。
これも当ブログでは何度もとりあげていますが、縦社会のひずみが要因の一つとなった事件に、電通社員自殺問題がありました。
あの事件は縦社会構造以外にも要因はありますが、縦社会が要因になったことは否定できません。
上記したように、国、政府は労働環境を本当に本腰をいれて改善させようとしています。
高度経済成長を成し遂げた先人たちは確かに素晴らしい。その恩恵に授かっているのが私たちの世代です。
しかし、国や政府にはどこまでも成長を目指してほしいものの、現実的にはそんなことは不可能です。いつかは成長はとまります。
そして、いまの日本はといえば、間違いなく成長期から成熟期へ移行しています。
成長期に機能した社会構造が成熟期に機能するはずがありません。それは時代とともに否が応でもアップデートされます。
社会がアップデートされた時にそれに応じたアップデートを要求されるのが人の意識です。
昔のやり方を否定するのではなく、時代が変わったなりに、意識を変えていくこと、これは至極当然のことと思えます。
縦社会は、成長期には統率のためうまく機能したでしょう。
今でも新興国の中には独裁政治体制の国が数多くありますが、それらの国の中には、独裁だからこそうまくいっている国もあります。
独裁は権力が集中しているので、何をするにもとにかく早い。そのスピードが求められる成長段階というものが国家にはあります。そして、独裁は縦社会の究極の形です。
日本が高度経済成長で発展を遂げたのも同じ現象だったでしょう。
かんたんに言えば、四の五の言わずに言われたとおりにやれ、という空気が発展速度をあげたのは間違いありません。
しかし、今は違います。そのやり方は通用しません。先進国となった国は、必ず価値観の多様化が進みます。
なぜなら、生きていくことだけに必至にならなくて済むから、そして人は本来差異があるものだからです。
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縦社会の上にいる人も下にいる人も、支配することの危険性、支配されることからの脱却を真剣に考えないと、とんでもないことになります。
価値観が多様化しているはずのこの社会ならば、支配しなくても良い空気つくりを認めること、脱却することのネガティブさを消すこともできるはずではないでしょうか。