インターネットの出現で情報量が爆発的に増えた結果、テクノロジーの進化スピードも飛躍的に上がったと思います。
私のようないち庶民にもそれが感じられるくらいでしょうから、専門家はもっとそれを強く感じているのかもしれません。
私は自他共に認めるアーリーアダプターです。
知らない人もいるかもしれないので、念の為説明すると、アーリーアダプターというのは、新しいことにすぐ飛びつくタイプの人を指します。
マーケティング用語ですが、別にマーケティングに関係なくても使うのに便利な言葉です。
アーリーアダプターにとっては、テクノロジー進化のスピードアップは刺激的で、面白い。
一方、そうでない人もいますね。
そういった人は、便利すぎる世の中になってしまってないか、と心配します。
便利さは相対的なものです。
便利さの多くはお金を払って手に入れられますが、今から100年前のどんなにすごい富豪が手に入れていた便利さよりも、今の大したお金を持っていない若者が手にしている便利さの方が上なのは明らかです。
そして当然、100年前の富豪は手に入れた便利さを、当時「サイコー」と思っていたわけですね。
また、便利さはその人の能力や主観でも決まります。
代表的なのは、スマホです。
スマホを何の苦なしに使いこなせる人にとっては、スマホが便利すぎるという印象はあまりないでしょう。
一方、スマホの多機能ぶりにうんざりしているが、周りとの付き合い上スマホを持つことを半ば強制されている人にとっては、スマホは便利すぎる、と嘆くのかもしれません。
つまり、スマホが便利なのか便利すぎるのか、ではなく、スマホは「誰にとって」便利なのか、便利すぎるのか、ということですね。
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テクノロジーの進化は、良くも悪くも止まりません。これはもう諦めたほうが良い。
だってそうでしょう。車は便利なものですが、交通事故で年間4000人もの人が亡くなっているんですよ。それでも車は作られ続け、売れ続けます。
まだ車がない時代の人(例えば馬などが主な移動手段だった頃の人)が、例えばタイムスリップしてきて、現代の車と、それによって引き起こされる交通事故、死者数を知ったら、便利さを求めすぎた弊害だ、と声高に避難するに違いありません。
要するに、現代の様々なモノを便利すぎると批判する人は、絶対に(そう、絶対にです)車に乗るべきではありません。
自分の主観でのみ便利さを否定して、自分が味わっている便利さを見ないのは、不公平かつ論理的矛盾に満ち溢れていますよね。
私は、便利すぎるからという理由でなにかを批判するのはもうやめたほうが良いと思っています。
交通事故は相変わらず多いですが、安全対策にも予算をつけたり、エアバックを開発したりという方法で、減ってきてはいます。
繰り返しますが、車自体をなくそう、ではなく、車ありき(つまり便利さは捨てない、捨てられない)で対策を練る方向に考え方をシフトした方が良いと思うのです。
スマホだってコンピュータだってインターネットだって同じです。
多分、便利すぎるという理由でこれらが廃れることはありません。
同機能を持った、さらに便利なツールが出来たときのみ、これらは淘汰されるでしょうけれども、それ以外は全く想像つかないし、そんな例は歴史を見てもないんじゃないでしょうか。