本を読むのが好きです。それは私の人生を大きく変えてくれたものでもありますが、そんなに大袈裟でなく、「好きな食べ物はアボカドです」という程度の主張でもあります。
本は、フィクションとノンフィクションに分けられます。
本当はもっとたくさんありますが、私が読む本はだいたいこの2つのどちらかです。
知識人(知識人という呼ばれ方って、なにかしら違和感がありますね、、)のインタビューなんかを読むと、年をとるにつれて、フィクションよりもノンフィクションを多く読むようになってきた、ということが書いてあります。
そんなものかな、と思いつつ、基本的に知識人を尊敬しているし、少しでも近づきたいと思っているので、私もノンフィクションの読書量を増やそうかな、と思っていました。
しかし、冒頭にも書いたとおり、読書は自分の為になるという側面と、単なる娯楽という側面があります。
そして興味深いのは、娯楽として読んだものも、意外と自分のためになるということです。
ノンフィクションは、知識量豊富な賢い人が、綿密な取材や調査を行い、自分の意見主張を交えて書く本です。
浅学な私にとっては、へーと思うことだらけで、シンプルに為になります。
一方、フィクションもその作品の中にメッセージ性というカタチで、作家の意見主張を匂わせます。
ただ、ノンフィクションほど直接的ではないので、ある意味回りくどいし、うまく伝わらない可能性もあるでしょう。
しかし、最近私にはフィクションの方が合っているかも、と思い始めました。
自他ともに認めるせっかちな性格である自分にとって、欲しい情報がすぐに手に入る現代は嬉しい。
濡れ手に粟ですね。
しかし、せめて本を読むときくらいは、ゆっくりと、じっくりと、かみしめるように読むのが良いのかも、と思うようになりました。
それに、直接的メッセージでない分、読み手の方に考えることを要求されている気がします。
この物語から何を読み取るのか、何を感じるのか、ということを問われている気がするのです。
フィクションの作家は、多かれ少なかれ読み手のことを思って書いているので、娯楽作品として最低限のクオリティーを超えているものを出してきます。
だから当然面白い。
面白い上に、読み手に「前向きな悩み」を与えるという意味では、フィクションのほうがノンフィクションをほんの少しだけ勝っていると、私は思っています。
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単純に勉強するという意味では、やはりノンフィクションの方が良い。
勉強も好きだし必要なことだと思うので、今後もフィクションとノンフィクションのバランスをうまく取りながら読書を続けようと思います。