日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

それは今言うことですか?

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180812/k10011574671000.html

子供を持つ「親」という立場になると、子供が絡んだ事件のニュースの読み方が変わります。 このニュースもそうですね。やはり「もし自分の子供に同じことが起こったら」ということを考えてしまい、心苦しくなります。 両親、関係者の心的ストレスは相当なものでしょうし、他ならぬ行方不明の男児のことが心配です。 少しでも早く発見されることを願っています。

ところで、以前同様のニュースがあったときもそうでしたが、親に対するバッシングがすごいですね。 1歳の子供を一人で帰らせたことに対する批判です。 以前のニュースは、躾の一環で「少しの時間だけ」山の中に子供を置き去りにしたあと行方不明になったということで、行き過ぎた躾だ、という批判でした。

たしかに、今回の事件も前回の事件も、親のとった行動に問題がないかといえばそれは嘘になります。 しかし、他のニュースでもそうですが、赤の他人がこの時点で(つまりまだ捜索中の段階で)親をバッシングすることには、何かしらの意味があるのでしょうか。 例えば今回の親が逆ギレして「なんにも悪くねーよおれは!」みたいな態度だったら本当に批判すべきことでしょうが、普通の感覚で考えれば、今最も絶望しているのは当の親です。 赤の他人がこの時点でバッシングなんかしなくても、凄まじい後悔の念を抱いていることでしょう。

そこに追い打ちをかけるように「何考えてんだ、この親は」みたいなことをネット上で発言する、これは意見や主張ではなく、いじめやリンチに近いものです。

重複しますが、この親を擁護しているわけではありません。 しかし、この時点での批判はいかがなものか、と思うのです。

日々のニュースの中で、直接自分と関係あるニュースなんてほとんどありません。 それでもニュースは毎日流されます。 なぜでしょうか。

それは、そのことから学ぶことがあるからです。 逆に言えば、批判するだけで学ぶものがなんにもないのならば、そもそもニュースを読んだり知ったりする意味がありません。