高度経済成長はもうずっと昔の話で、私ですらその恩恵を預かったことはありません。
バブルが弾けたのはいまの若者が悪いわけではなく、起こるべくして起こったのだと思います。
明確な要因を探すのは専門家に任せれば良いし、犯人探しはあまりにも非生産的です。
経済成長が鈍化している現代、それは庶民の仕事現場でどういう意味を持つのか。
それは、価値を生み出す生産性を高める必要が出てきた、ということではないでしょうか。
付加価値を生み出すために必要な時間と人員に、以前ほどお金をかけられないわけです。
だったら、より少ない時間と人員で同じ付加価値を生むしかありません。
そのことを効率化って言うのだと思います。
そのためにはテクノロジーの活用が必須です。
計算機を使って台帳を手書きするのに比べ、パソコンのソフトを活用するやり方は、スピードも正確性も比較にならないほど上がります。
書類を紙で処理し保管するのに比べ、データで閲覧、保管すれば、さまざまなコストが抑えられます。
こうやってテクノロジーを駆使し、生産性をあげていくしかないように思います。
しかし、変わるのが苦手な人達は、これをも否定します。
昔からこうやってきたのだから、昔ながらの方法でやれ、と。
おかしな話です。
今の不況打破のための方法を実践するとだめだと言われる。
ところが、お金がないのは自己責任だという。
本音を言えば、これだけの不況に陥った原因は、現世代より一つ前の世代にあるでしょう。
でもそんなこと言ったってきりがないから、自己責任を受け止め、自分たちでどうやったらこの時代を切り抜けられるかを考え、あみだし、実践しようとしているわけです。
それを、昔からこうやってきたという理由だけで否定するのならば、不況で落ち込んだ分の補填をすべきです。
強要するのならば、そこには責任が生じます。
なんでも変わればよいというわけではありません。
でも、変わったほうが良いこと、変わるべきことだってあります。
そこはゼロベースで再考しないと、思考停止に陥ります。