日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

子供には現実を見せるべきか

昨日は、ペットがなくなったことで何かとバタバタしました。

実際になくなったのは一昨日。そして昨日は火葬。

 

といっても葬儀はしていません。

ペットに葬儀まで必要ない、という意外にドライな義理の両親の考え方に沿ったものです(私は同意見です)。

 

GWで、しかもコロナで、出かけるところもあまりなかったので、逆に時間をとりやすかったです。

季節もちょうど良いし、すごく晴れていたし。

 

昨日も書きましたが、娘たちは泣きじゃくっていました。

それはもちろん、生まれた頃からいるのが当たり前のペットがいなくなったんだから、当然といえば当然。

しかも、娘たちにとって「死」に向き合うのは初体験です。

 

ただ、泣きじゃくっていたのはそれだけが理由ではないのかもしれません。

泣きながら「怖い、怖い」と叫んでいたからです。

 

思い出したんですよね、私の小さい頃を。

 

 

私がまだ小学生だった頃、あれはおそらく8歳くらい、つまり今の上の娘くらいの歳の頃だったと思います。

 

誰かの葬儀に「2回」参加しました。

2回とも親族の誰かですが、直接の身内とかではなくて、ちょっと遠い親戚だったと思います。

(だから覚えていないのです)

 

そして、1回目に比べて2回目はすごく怖かった、という印象が強いのです。

 

1回目と2回目、何が違ったのか。

それは、火葬場の雰囲気です。

 

1回目の火葬場は、結構きれいで、いわゆる炉に入れるところと、骨上げをするところが全然別のところにあります。

一方、2回目の火葬場はかなり古いところで、炉に入れるところと、骨上げをするところが同じ。

 

2回目のところの方が断然生々しい。

遺体が火葬されて骨になった、ということが小学生でも余裕でわかります。

それがなんとも言えない怖さでした。

 

 

今回の火葬場は、私が小さい頃に経験した2回目の葬儀に近い雰囲気。

それはそれは生々しく、正直大人でもなんとも言えない恐ろしさに囚われます。

 

あの雰囲気を子供に味わわせることが果たして良いことなのか。

大人はその現実に向き合うことが大切ですが、子供にはそんな現実を受け止めるほど現実の経験を積んでいません。

 

子供にはなんでも現実を教える、というのは大人のエゴです。

アメリカ同時多発テロの映像をみてトラウマになった子も多いそうです。

中国のとあるサファリパークでは、ライオンがシマウマを捕まえて食べているところも見られるそうですが、子供の目にはどう映るのでしょうか。

 

ペットの死で子供との向き合い方を考えさせられました。