NHKは色々問題あると思いますが、「新・映像の世紀」はこれまで見てきたドキュメンタリーの中で、ダントツ1位の衝撃的な番組でした。
動く映像の記録が可能になり、その最初の被写体になったのが爆発映像。
映像は人類の膨大な記憶ですが、映像が開発される前にあった戦争の記録と比べ、映像での記録はインパクトが数段違います。
私達が映像を使い人類の記憶として絶対に残していかなくてはいけないものは、文章では決して伝わらない戦争なのかもしれません。
だから、戦争の歴史というタイトルではなく、映像の歴史という名前にしても良かったのでしょう。
突然、なぜ映像の世紀の話になったのかというと、今読み進めているこの本に、ナチズムのことが書いてあるからです。
ミルグラム実験を初めてしりました。
簡単に言えば、
- 数十名のランダムに集められた人を教師と生徒(実はサクラ)に分ける
- 生徒に問題を出し、間違ったら教師の持っているボタンで生徒に電気ショックを与えるように主催者から指示される)。
- 電気ショックの電圧は、間違えるたびにどんどん上がっていく。
電気ショックのスイッチを押しても、実際は電流は流れず、生徒役であるサクラが痛がっている演技をします。
段々あがっていく電圧、どのくらいの電圧で実験中止を希望するかを見てみる、という実験です。
実験前の予想では、最大電圧(その電圧は死に至る電圧です)まで実験を継続する人が1.2%。
そして実際の結果は、なんと65%。
この実験は、ユダヤ人大量虐殺の指揮を執ったアイヒマンの名から、アイヒマン実験と呼ばれているそうです。
アイヒマンは戦後の裁判で、ユダヤ人に対する憎悪はまったくなく、ただひたすら権威者=ヒトラーに従っただけだと主張します。
一般的な感覚では、
「人を大量虐殺するような指示には、いくら権威者からのものであっても断るはずだから、アイヒマン自体にユダヤ人殺戮のはっきりとした意志があるとしか考えられない。」
と思いそうです。
ところが、ミルグラム実験でわかるように、実際には従ってしまうのです。
権威者の指示で、65%の人が人殺しをできるのです。
ナチスも連合赤軍もオウム真理教もアルカイダもISも。
私たちと対極において悪というレッテルを貼ることによって、自分たちが善側の人間だと思いたいものですが、実際にはそこに差はありません。
私だって、アイヒマンと同じ環境に身をおいたら、同じ行動に出たのではないか、と思います。
オウム真理教にいて、地下鉄サリン事件の実行犯に任命されたら、実行したでしょう。
私は、そう思うところからがスタートだと思っています。
「陳腐な悪」はほぼすべての人の中にあります。
私達は、そこから目を背けてはいけない。
そこを直視し、それでも秩序だった世界を維持するには、何をするべきか、何をしないべきかを、一生考え続けなくてはいけない、と思うのです。