有名人や政治家は、批判の的になりやすい。
それはもう仕方ないと思います。
(アスリートへの批判は仕方なくないですけどね!)
特に政治家はそうです、
批判に耐えられない、という人は政治家を志すべきではありません。
しかし一方、どんな批判でもOKかといえば、そんなわけがない。
最近は自民党総裁選の話題が多いですね。
候補者に対していろんな報道がなされ、コメント欄での批判も多い。
繰り返しますが、これは仕方ないことだと思います。
そんな中で、ある候補者に対する意見として
「生理的に顔が駄目」
というものがFB上でありました。
全公開設定です。
生理的に嫌い、という印象を抱くのは仕方ない。
公開の場で候補者の主義主張を批判するのも良い。
でも、生理的な印象(=限りなく個人的)を公開の場で批判的に書くのはだめでしょう。
政治家も含め、有名人だって人間です。
顔も見たことない人から批判を受けて傷つかないわけない。
その批判が、建設的な議論のプロセスとしてだったら、たとえ傷ついたとしても必要な批判です。
しかし、生理的に顔が嫌い、と言われて何か学ぶことがありますか?
傷つき、悲しみ、怒る、以外のことは何も起こりません。
批判は私だってやります。
そんなのおかしいだろ!とみんなが声をあげられる社会は健全だと思います。
でも、生理的に顔が嫌い、といったまさに人格攻撃をすることに抵抗がない人が一定数いることは、残念で仕方ありません。
そんなこと言ったって、社会も人も1mmもよくなりません。
人の振り見て我が振り直せと言います。
私は絶対に人格攻撃はしない。
そう心に誓います。