日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

子育てはどうあるべきか

最近、この本の著者が話題になっている

「灘→東大理III」の3兄弟を育てた母の秀才の育て方

 

この人が、「受験に恋愛は無駄」と言ったことに対する反応が色々あって面白い。

教育熱心、わかりやすくて良い、という意見の反面、親の所有物じゃないんだから、といった批判的な意見も見られるようで、後者の方が多いようだ。

 

マスメディア特有の「1センテンス」吊し上げのようなもので、ここだけみてこの母親を判断するのはどうかと思うし、第一この3兄弟本人たちのことは、東大医学部に入ったということ以外ほとんど報道されていない。

 

が、しかし、あえてこの「受験に恋愛は無駄」辺りにスポットをあててみよう。

 

自分としては、この考えはいかがなものと思う。

 

東大医学部は、頭が良い人が行くためにあるのではない。

優秀な医者を育成するためにある。主客転倒だ。

頭が良いから東大医学部、ではなく東大医学部に行く人が頭が良いのだ。

もう少し詳しく言うと、優秀な医者になりたい人に頭の良さが求められるのだ。

 

さて、この3兄弟だが、いくら同じ母親に育てられ、同じ屋根の下で生活したといっても、同じ志を「たまたま」もつとは考えにくい。志望は血がつながっていてもひとぞれぞれ違うものだ。

世の中に数えきれないくらいの職業があるなかで、たとえばそれが「頭が良くないとなれない職業」に絞られたとしても、依然数多くの職業が選択肢として存在する中から、医者を3人とも選ぶとは考えにくい。

 

だとすれば、やはり親がその方向に導いたのだろう。

つまり、本人たちが志望したのではない可能性が高い。

 

確かに、子育てにおいて、親はある程度、子を導く必要があるだろう。

なにもしなかったら、それは自由という名の放任でしかない。

 

だから、どの程度親が子を導き、どの程度子に選ばせるかのバランスが重要となるが、このバランスは後者に重きを置くべきではないだろうか。

また、年齢が上がれば上がるほど、より後者に重きがよってきて、成人あたりでほぼ後者に傾くというのが理想ではないだろうか。

 

その考えからすると、そのバランスが悪い気がする。

医者は、人命をダイレクトに救う素晴らしい職業だ。

だからこそ、医者になって人命を救いたいという志を強く持ってる人、というのが、医者になる人の最低条件であるべきだ。

 

そもそも、高校卒業まで、一度も恋愛せずに、母親に言われて勉強ばかりしていた結果医者になった人に、診てもらいたいと思う人はどれだけいるだろうか?

 

さて、先日テレビでこういったことを言っていた人がいた。

 

よく、オリンピックのメダリストなんかにインタビューすると、恋愛なんか全て禁止で、毎日が特訓特訓の連続だったという話があって、それを美談として視聴者は見ることが多い。

スポーツの世界ではそれは美談で、勉強の世界では批判の的になるのはおかしい

 

まず、自分はメダリストのこういった美談も受け入れがたい。

あるメダリストは、たまたまメダルがとれて結果が残せたから良いものの、恋愛も遊びも禁止され、そこまでやってもメダルを取れない人のほうが圧倒的に多いのだ。

その時に、その人の将来はどうなんだろうか。

誰もが学生時代に当然のようにやった遊び、恋愛を経験せず、結果も残せず、という自分を振り返った時の気持ちは、決して明るいものではないだろう。

じつはここにも主客転倒がある。

恋愛、遊びをしてなかったからメダリストになれた、のではなく、あるメダリストは恋愛、遊びをしてなかったのだ。

つまり、恋愛、遊びもしつつメダリストになることができたら、そのほうが良いにきまっている。そして、そういう人も少なからずいるはずだが、それでは話題性に欠ける(日本人は特に苦労話が好きだ)ので、恋愛、遊びをしてなかったメダリストにスポットをあてて美談に仕立てあげる。

 

また、別の側面でも反論がある。

 

これもよく勘違いしている人が多いが、東大の医学部に入学することは確かにすごいことだが、その時点ではまだ社会のなんの役にもたってない、ということだ。

メダリストは、その競技を通じて人々に感動を与えている。

これに対し、東大の医学部生は、その時点では学費を払って学校に行ってるだけで、社会の役にはなんら立っていない。コンビニのアルバイトのほうがよっぽど社会の役に立っている。

 

つまり、メダリストと東大医学部生を一緒に語ることはできない。

 

もし、受験において恋愛が無駄ということが美談になるとしたら、それはこの3人が医者になり、患者を助けるなどの社会貢献をした時であって、医学部生になったときでは決してないだろう。

 

 先にも書いたとおり、子に何か(例えば進路)を選択させるのは、親としては難しい。自分の経験があるので、それを子に伝えたいという気持ちが働くからだ。

そこが親として勇気ではないだろうか。

 

famo-seca.hatenablog.com

 

 

親は、子のやりたいことを言葉、行動、その他で探り、それを陰ながらサポートする。

親が子に対してできることなんて、所詮その程度だと認識することが大切だと思う。