ヒトは他の動物と比較して明らかに優位なのは、脳だろう。
逆に言えば、脳以外は大抵のことでヒトは他の動物に劣っている。
運動神経などはその最たるもので、同じフィールドで可能なオリンピック種目において、メダリストが他の動物に勝てるものはほとんどない。
(シラミのジャンプ力は、身長の100倍以上らしい。ヒトに置き換えると・・・)
ということは、やはりヒトのヒトらしさを端的に表している要素は脳であると言って良いだろう。
そして、脳の能力(脳力?)のことを簡単に頭が良い、悪いで表す。
さて、脳のもつ機能は計り知れないほどあり、何をもって頭が良い、悪いを決めるかも難しいところだ。
学校の成績が良い人
少なくとも日本の学校成績は、解答が決まっている問題をいかに早く解くかで決まり、それは大学入試まで続く。
しかし、これもよく言われるが、解答のある問題に関しては、解答する方よりも問題を作成するほうが難しい。
つまり、学校の成績で頭の良さをはかると、東大を満点で合格した人が日本一なのかもしれないが、その問題を作った人にはかなわない。
結果を出した人
結果が出せる人は、頭が良い人とイコールか。
自分はそこにズレを感じる。
結果というのは、本人の頭の良さではなく、その時代背景が大きな要素にあり、自分が思う頭の良さは、より普遍的なことだ。
普通の人が考えないような意見を思いつく人
これも少し違う気がする。
上にも書いたが、周りと比較の上ににしか成り立たないことは、頭の良さとは言えない。
これでいくと、サイコパスは頭が良いことになるが、これは自分の思うところの頭の良さからは逸脱している。
結局、頭の良さ、とは?
色々と考えた結果、自分の考える頭の良さは、「自分で考える能力に長けていること」だと思う。
その際、時代背景や環境から受けた影響を、その人なりのアプローチで咀嚼しインプットできる柔軟性を持ち合わせていること。
そして、その捉え方を時代背景や環境と照らし合わせることができること。
結局、 戦争やいじめがなくならいのと同じくらい、頭の良さも定義できない。
それは、解答がないことが解答、という矛盾した言葉でしか表せないのかもしれない。
少し前のブログにも書いたが、人は何かに根拠を見つけたくなる生き物だそうだ。
これが人としての生理的な働きならば、もう一歩思考をすすめて、その根拠すら絶対的ではなく、「そういうこと、らしい」という捉え方することが大切なのかもしれない。
その行為はつまるところ、
「悩み続けることが頭の良さ、なのか」ということを考えられることが頭の良さ、なのか・・・の無限ループだ。