絵が苦手だ。
だから良い絵がかける人は心底尊敬する。
絵を見るのは好きだ。
詳しくはないが、見ていて感動する絵もいくつかある。
ところで、小学生の頃は、図工(図画工作)の時間が絵を書く授業だった。
絵の具を使って風景を書いたり、人物を書いたりしていたのを、おぼろげながら覚えている。
しかし、何を書いていたかよりも鮮明に覚えていることがある。
それは、
「絵の具を単色で使ってはいけない」
というルールだ。
(※大人になって知ったが、これはどこの小学校においても共通のルールではないらしい)
このルールを定めている理由は、
「絵の具の色そのままの色は自然界には存在しないので、より近い色を再現するために、色々な絵の具の色を混ぜて試みてみること」
だった。
しかし、小学生にとって、自然界の色を絵の具の調合(?)で再現するのは相当に難しい。おそらく大人にとっても難しい。
結果、完成した絵の色は、全体的にどよーんとした、なんともはっきりとした色合いのない絵ばかりだった。
このルールは、今となって甚だ疑問だ。
絵を書くという行為は、そのものを忠実に再現することだけが目的ではない。
「良い絵」と「本物に近い絵」は違うこともあるだろう。
だとすれば、小学生といえども、まず自分の思うとおりに書いてみて、できた絵を見て「色がイマイチ」と感じたときに、自分の意志で絵の具の調合を試してみるべきだと思う。
できあがった絵が、本物と違う絵(色)であっても、自分で良い絵だと感じたら、それで良いのではないだろうか。
小学校のカリキュラムに、図工や音楽といった、どちらかと言えば生きていくのに直接必要のないものをあえて取り入れているのは、やってみないとわからないから、とりあえず何でも経験させてみて、その興味を引き出す、という理由だろう。
だとすれば、それに適した仕組みにするべきだ。
仕組みといえば難しく聞こえるが、要するに
「やりたいようにやらせる」
で良いと思う。
音楽はアンサンブルの要素もあるので、ある程度の統一ルール(ちゃんとした音程で歌う、など)が必要なのはわかるが、絵に関しては、各々が好きな絵を書いて、自分で納得すれば良いのではないだろうか。
紅葉の山々をピンクの絵の具を使って表現し、自分で納得すれば、そこには何の問題もない。
(実際、大人がそれをすると、個性的だ!なんていう評価になったりする)
教育において、正しいことを教えるのは当たり前だ。
しかし、音楽や絵のような芸術分野は、正しい、正しくないがはっきりしない。
だから、正しさを教えることはできないし、教えるべきではない。
それらを、まるで正しいことがあるかのように教えるのは、大人が声高に叫ぶ「個性」をつぶしにかかっているとしか思えない。