自分の行った中学は、男子は丸刈りだった。
今でも野球部は丸刈りのところが多いようだ。
サラリーマンは、スーツ着用が暗黙のルールだ。
ネクタイもセットでルールになっていると言える。
バイトですら、金髪、茶髪、長髪が禁止の職場は多い。
これらのルールは、一体何のために制定されているのか。
人の違いを受け入れないルール制定
人はみな違う。価値観も美的感覚も違う。
だとすれば、ルールによって定める範囲というのは、少なければ少ないほど良い。
秩序が乱れてしまわない為のルールは必要だが、それ以上厳しいルールは、価値観や美的感覚の押し付けでしかない。
上記例で言えば、丸刈り。
当時は「中学生らしい」という理由だったのだろう。
また、野球部はいまでも「球児といえば丸刈り」という、なんとも意味の分からない理由でそのルールがあるのだろう。
しかし、中学生らしさ、球児といえば、なんて人によっても、時代によっても全然違う。
そして、人によって違うことや、時代によって違うことなんて、簡単に予想がつく。
サラリーマンのスーツ、ネクタイもそうだ。
仕事の場合は、それが嫌ならその職場を選ばなければ良い、という論理は成り立つ。
それはさておき、実際にスーツでないといけない、と思っている人のうち、どのくらいの割合の人が、そのルールの存在意義を認識しているのだろうか。
勝手に予想するに、それは「そういうものだ」というあるいみ思考停止に陥っていると思ってしまう。
その証拠に、かつて政府がクールビズを訴えたときは、その途端にたくさんの企業がノーネクタイOKにした。
政府からクールビズを訴えられてすぐにルールを変える、ということは本音では夏にネクタイは暑すぎるし意味が無い、と思っていたからだろう。
コンセンサスを得なければ、政府が訴えたところで、残業の様になくならないものだ。
アルバイト先のルール制定がユニーク
そこは、髪型や髪の色の明確なルールがない。
しかし、どんな髪型、色でも良いのかというと、そうではない。
で、基準はというと、そこの責任者(店長)が「似合っている」と思えばOK、ダサいと思えばNG、というものだ。
たしかに、同じ髪型や色でも、人によって似合うこともあればダサくなることもある。
そして、店にとってはどんな髪型や色にするかよりも、その髪型や色が本人にマッチして、結果客に良い印象を与えられるか、の方が大事だ。
その判断基準を責任者が持つことには異論はない。
なぜなら、その責任を持っているから。
ルール制定は、秩序維持ギリギリで
ルールは、少なければ少ないほど良い。
そのほうが、自由度が高まるし、人のバリエーションも増える。
ルールによって縛らなくてはいけないことも当然ある。
しかしそれば、秩序を維持するための最低限のものであるべきだ。